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執筆者:あおしょうびん
取材旅行

ご縁でつなぐ奄美旅

執筆者:あおしょうびん
執筆者:あおしょうびん

「本当に大丈夫ですか?」
レンタカー屋のお姉さんに聞かれたのはこれで3回目。
「まあ、なんとかなりますって」
苦笑いとともに、手続きのための運転免許証をお姉さんに差し出しました。
真夏の炎天下のなかシャワシャワと鳴く蝉たちも、ここまでくるとお姉さんと一緒に「大丈夫?」と訴えているような気がしてなりません。
「何かありましたらご連絡くださいね!」
手続きを終えた後、やや不安気なお姉さんに見送られながらレンタカーのアクセルを踏む…ああ、確かに、少し加速が弱いかも知れない。
手続きを開始してから車をお借りするまでの約15分間のうち、お姉さんの「大丈夫ですか」は結局のところ5回、発動しました。
なぜなら、旅のお供となるレンタカーは、走行距離14万キロの、古い軽トラックだったからです。

***

Mさんの特集記事「奄美大島旅日記<人と仲よくなれる島>」に触発されて、先日、私も奄美大島へ行ってきました!
海や、マングローブの森を辿るアクティビティも楽しそう、でも、その土地に住まう方との交流をなにより重視したい。
そんな私が思いついたのは、「最初の行先だけを決めて、あとはそこで出会った方に次の行先を決めてもらう」こと。名付けて「ご縁でつなぐ奄美旅」。
そんなユルイ旅行に、ほのぼのとした青い色の軽トラはピッタリな気がしたのです。
そんな2泊3日の奄美旅は、笑いあり涙あり、ついでに虫も鳥も衛星も登場する、なかなか経験することのできないものとなりましたので、旅の写真とともにご報告します!

いもーれ!奄美!
いもーれ!奄美!

奄美旅1日目

奄美旅1日目
奄美旅1日目

奄美大島に行ったら絶対に行きたい!と思っていた場所がありました。それは、加計呂麻島にある無添加の手作りジャムのお店。
「あれ?奄美大島じゃなくて『加計呂麻島』なの?」
そう思われる方もいらっしゃると思いますが、理由があるのです。
加計呂麻島とは奄美大島の南隣にある島で、奄美大島の最南端の町からフェリーに乗らないと行くことができません。奄美大島北部にある空港から最南端の「古仁屋(こにや)」という町までおよそ70キロ。車で2時間といったところでしょうか。
「どうせなら、なかなか行けない場所に行きたい!」「加計呂麻島を旅しつつ、空港からの移動途中で奄美大島の観光ができるのでは」と欲張ってしまった、というのが正直なところです。
また、そのジャムのお店では、店主の畑で採れる果物を使ってジャム作りをしているとのこと。私も趣味の家庭菜園でイチゴや梅のジャムを作ることがあるので、南の島ではどんなジャムができるのだろう?と興味を抱いたのでした。

最高時速は30キロ!?走らない軽トラのひみつ

奄美空港に到着したのは14時30分。奄美大島の最南端に予約したホテルのチェックインは18時。車での移動時間が2時間と考えると、充分な余裕があります。
観光地を1か所くらい周ることができるかな、と思い、レンタカー屋さんから出発しましたが、そううまくはいかないのが旅の面白いところ。
「え、全然スピードが出ない…!」
お借りした青い軽トラは、アクセルをベタ踏みしてもせいぜい時速30キロ出ればいいところ。上り坂ではさらに減速してしまいます!
そして、「南の島」というイメージから、海沿いの平坦でのどかな道路を勝手に想像していたのですが、実際の奄美大島の道は起伏もカーブも多く、時速30キロの軽トラで太刀打ちできる相手ではありません。
(レンタカー屋のお姉さんがしきりに心配していたのって、このことだったのか…!)
夏休み時期ということもあり、お借りできる車が軽トラかワンボックスカーしかなかったため迷わず軽トラを選んでしまったものの、ワンボックスカーにすれば良かった!と運転開始5分で心より反省しました。
「これじゃあ、観光地はおろか、ホテルにも辿り着けないよ…!」
海岸線沿いをのろのろ走り、追い越し禁止区間では数々の渋滞を生み出し、ようやく国道沿いの大型スーパーを見つけ、逃げ込むように休憩。

  • 飛行機から見た奄美大島の海
    飛行機から見た奄美大島の海
  • 逃げ込んだ地元スーパー
    逃げ込んだ地元スーパー

車の鍵は鍵穴に鍵を入れて回す、昔ながらのスタイルです。
鍵を閉めるのにもたもたしていると、隣に車を停めたおじさんが話しかけてくださいました。「わ」ナンバー(レンタカー)の軽トラが珍しかったのかもしれません。
「エアコン点けて走ってるだろう、それじゃスピードは出ないよー」
なかなかスピードが出なくて…!と愚痴る私に、地元の方と思しきおじさんは謎のコトバを投げかけます「昔の車は、みんなそうだったんだ」。
鍵の開け閉めのレクチャーを受け、「車の鍵は絶対に肌身離さず持ってるんだぞ」と釘をさされ、見知らぬおじさんとはその場で別れました。
休憩を終え、何度も失敗しながらようやくエンジンをかけて出発。おじさんの言いつけを守ってエアコンを消してみたところ、今までの苦労はなんだったんだろう?と思うくらいスムーズに走りだし、最高で時速50キロまでスピードを出すことができました。
「誰だか分からないけれど、おじさん、ありがとう!」
気軽な一人旅であることをいいことに、窓を全開にした状態で、おじさんへの感謝を叫んだのでした。
エアコンを消した車内はそれなりに暑かったものの、空気がカラっとしていたのでそれほど不快ではありません。
また、普段は感じることのない草花や木々、土などの濃い自然の匂いを胸いっぱいに吸い込むことができ、どこか懐かしい気持ちを抱きながらホテルへと向かったのでした。

【おじさんとのご縁があったスーパー:ビッグⅡ】
〒894-0106鹿児島県大島郡龍郷町中勝字奥間前580番地
Webサイト:https://www.big2.co.jp/
奄美大島のお土産が充実。また、地元の方の食品や日用品も。地元産のドラゴンフルーツが青果コーナーに山積みされていたのに驚く。

移住者のホンネと「アカショウビン」の声

途中でネイチャーセンターに立ち寄り奄美の自然を学びつつ、奄美大島最南端へ。「ホノホシ海岸」に近いホテルに到着したのはチェックイン時間の18時ギリギリ。
部屋はすべて海に面していて、対岸には念願の加計呂麻島を望むことができる絶好のロケーション。聞こえるのは波の音だけ。テレビはありません。ホテルの敷地から浜辺へ行くことができ、外のデッキではヨガのクラスが行われています。
私たちが日々を過ごしている日常とはかけ離れた、「何もない、でも、とても贅沢な時間」がそこにはありました。

  • ホテルの目の前は海!
  • ホテルの目の前は海!
ホテルの目の前は海!

夕食時にホテルのスタッフの方数人と話してみると、地元の方よりも、他県から移住してきた方が多いように感じました。20~30代の方が多かったです。皆さん、日常生活のせわしなさから解放されたくて移住したのかもしれません。
「たまたま旅行で訪れたこの土地の景色に魅了されて、その日のうちに移住を決めたんです」と話すツワモノなスタッフもいました。確かに、空港から国道沿いを車で走ってきただけの私でも、「とんでもない海の青さだ!」なんて感動していたのです。普段ならびっくりしてしまうような移住の決断の速さも、妙に納得してしまったのでした。
一方で、移住してきた他の若いスタッフにお話を伺ってみると「生活はやっぱり不便」とのこと。特に、全国展開しているファストフード店やファッション店がここ奄美大島にはなく、通販がなかったら生活するのはツライと話していたのが印象に残っています。若い人にはもう少し刺激があるほうが良いのかもしれません。
ちなみに、そのスタッフの方に
「奄美大島で穴場的なオススメスポットってありますか?」
と尋ねたところ、島で唯一のファストフード店が名瀬(島の中心街)にありますよ、と小声で教えてくれました。 ユニークな視点に笑いつつ、これも「ご縁でつなぐ奄美旅」のひとつだと思い、旅の最終日に立ち寄ってみようと思いました。

***

次の日の早朝に私がいたのは「ホノホシ海岸」。ホテルの企画である「日の出の瞑想」に参加しました。
ヨガのインストラクターの先生とともに車に乗り込み、日の出時刻である朝の5時半にホノホシ海岸へと向かいました。
そこには他に人の姿はなく、波の音と、林の中から聞こえる野鳥の声だけが空間を彩っていました。
「あの声。アカショウビンって鳥ですよ」
駐車場から浜辺へと向かう途中で、首都圏から移住してきたというヨガの先生から鳴き声の正体を教えていただきました。ダークレッド色の鳥で、声は聞こえるのに姿を見ることがなかなかできない鳥なのだそう。
「奄美大島はハッキリとした四季がないんです。
その代わりに、ホテルの、あるスタッフはアカショウビンの鳴き声が聞こえ始めたら短パンを履き始めて、サシバという鳥の姿を見たら短パンを終えるんですよ」
「へえ!素敵な習慣ですね!」
花や旬の食べ物など季節の感じる手段は人それぞれですが、鳥で季節の移ろいを捉えるという話は初めて聞いたので思わず大きな声をあげてしまいました。
私の声にびっくりしたのか鳴き声は一時止んでしまったのですが、すぐに、「キョロロロロ…」という特徴的な鳴き声が。その声を背に、浜辺へと降りたのでした。
ホノホシ海岸は、外洋に面していて波が荒いため、浜辺の石は丸い玉石になっています。
砂浜ではなく驚くほどまんまるな玉石が敷き詰められていて、サンダル越しに否が応でも足裏を刺激されます。健康にとても良さそう!
また、丸くなっているのは石だけではなく、サンゴの死骸も、もれなくまんまるになっていました(持ち帰ってはいけないのが残念!)。
この「まんまるの石」のおかげで、波が引くときに「コロコロ」といった独特な音が聞こえてくると教えてもらったのですが、浜辺へ来た当初は音が分かりませんでした。
ですが、石の上であぐらをかき、ヨガの先生の誘導にしたがって瞑想をするうちに、段々と音が分かるようになってきました!太鼓のような音です。一度気が付いたらあとは絶対に聞き逃しません。石たちが声を合わせて歌っているようです。普段、自然の音にいかに無頓着に生きているのかを顧みるきっかけとなりました。
肝心の日の出の様子ですが、浜辺に降りた当初はどんよりと曇り空だったものの、やがて雲の隙間から真っ赤な太陽が顔を覗かせ、雲に光の筋を描きながらぐんぐんと上る姿はまさに圧巻。
「今日は太陽が饒舌ですね、」
ヨガの先生の素敵な言葉とともに、ホノホシ海岸を後にしたのでした。

  • ホノホシ海岸の朝日
  • ホノホシ海岸の朝日
ホノホシ海岸の朝日

【アカショウビンと丸石たちの声を聞いた浜辺:ホノホシ海岸】
〒894-1523 鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈
Webサイト:https://www.kagoshima-kankou.com/guide/10244(鹿児島県観光サイト)
白い玉石で文字が書かれているのを発見。誰かが石をひとつひとつ置いたのでしょうか。

【リトリート気分を満喫できたホテル:ザ・シーン】
〒894-1523 鹿児島県大島郡瀬戸内町蘇刈970
Webサイト:https://hotelthescene.com/
スタッフの方の心遣いでひとり旅でもたいくつ感ゼロ。奄美大島唯一の天然温泉もありがたい。

奄美旅2日目

奄美旅2日目
奄美旅2日目

日の出の瞑想を終え、ホテルをチェックアウトし、いざ、加計呂麻島へ。
奄美大島最南端の港である古仁屋港から、フェリーに乗って向かいます。
フェリーにはレンタカーを乗せることもできましたが、万が一フェリーが欠航になったことを考えて古仁屋港に車を置いて加計呂麻島へ行き、現地で改めてレンタカーを借りることにしました。
青い軽トラとは、しばしの別れです。

フェリーで学生さんたちとの出会い、そして次なるレンタカーとの出会い

フェリーは、夏休み期間中ということもあって多くの方が乗船していました。100名はいたと思います。服装や荷物などから想像すると、地元の方3割、観光客が7割といったところでしょうか。
天気は快晴。風はカラリとして気持ちよく、デッキに出て加計呂麻島がどんどん近づいてくる様子を眺めていると、
「写真を撮ってもらえますか」
と、学生さんが声をかけてきました。
女性2名、男性1名の3人組。加計呂麻島と海をバックに記念写真を撮りながら訊ねてみると、大学のゼミの合宿で加計呂麻島へ向かうとのことでした。ゼミ内のグループごとにレンタカーを借りて、島の文化についてフィールドワークを行うのだそう。
「良い勉強になるといいですね」と言いながらカメラをお返しし、ご縁はそこで終わったと思っていたのですが、その後、この3人組とは島内で何度か会うこととなります…!
乗船時間はわずか20分。
その間、100名ほどいるフェリーの乗客のなかで、まったく知らない方がほとんどであるものの、学生3人組のように再び顔を合わせることとなる方とも出会うなど、ご縁と言うものは本当に不思議だなと思います。
なお、私は加計呂麻島へ行くときはフェリー、帰りは海上タクシー(乗合船)を利用しました。フェリーの揺れは好天だったこともありほとんど気になりませんでしたが、帰りの海上タクシーは船が12人定員と小さく、また、天候も悪かったためかなり揺れました。
乗り物酔いしやすい方は念のために薬を準備しておくとよいと思います。
また、奄美大島側のフェリーが発着する港は1か所(古仁屋港)ですが、加計呂麻島側は瀬相(せそう)・生間(いきんま)の2か所の港があります。加計呂麻島でレンタカーを予約した場合は、どちらの港で借りるのか必ず確認してください!

  • フェリーかけろま
    フェリーかけろま
  • 島が近づく
    島が近づく
  • 巨大オブジェ
    巨大オブジェ

まもなく瀬相港に到着し、レンタカーをお借りする場所に行くと、そこには先ほどお会いした学生3人組が。
「すみません、また写真撮ってもらってもいいですか?」
別の観光客の方がレンタカーの手続きをしている間、フェリーの待合所前にある貝の巨大オブジェの前で、記念撮影をパチリ。
今日はどちらを周られるんですか?と訊ねてみると、「実久(さねく)」という、海がとてもきれいな集落と、「須子茂(すこも)」という集落にあるカフェに行くのだとおっしゃっていました。学生さんたちは、島の東側を中心に周るようです。
加計呂麻島では、入江ごとに集落があり、その数は30ほど。その集落ならではの海の色と歴史があります。1日ではとても周り切れません。後ほど登場する元・ガイドの方のお話によると、加計呂麻島は最低2回訪れるべきで、1回目は島の東側、2回目は西側を周ると良いのだそうです。
私は今回、不規則な島の周り方をしてしまったので、少なくともあと2回は加計呂麻島を訪ねたいと考えています。
先にレンタカーの手続きを終えた学生さんたちと別れ、私が加計呂麻島でお借りしたのは街でよく見かける軽自動車。奄美大島でお借りしていた軽トラとは異なり、エアコンを点けていても普通に走れます!「当たり前」がとてもありがたいのだと身をもって知りました。
島内はバスも走っていますが、短い旅の場合はレンタカーをお借りしたほうが無難。ただし、道がとても狭くカーブや起伏がきついので、スピードの出しすぎにはくれぐれも注意です。私も島内を運転するなかで、「ここって道路…だよ…ね?」と心配になることが多々ありました。また、浜辺や店舗に駐車場があるところが少ないので、戸惑われる方も多いと思います。他の方の迷惑にならない場所を見つけて車を停めるのが少し大変でした!

【奄美大島南側の海の玄関口:せとうち海の駅】
〒894-1503 鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋大湊26-14
Webサイト:https://www.town.setouchi.lg.jp/suisan/uminoeki_setouchi.html
加計呂麻島行き以外にも請島・与路島行きのフェリーがあるものの、私が伺ったときは請島・与路島行きのフェリーは欠航。加計呂麻島行きが欠航にならなくて良かった。

【学生さんたちとのご縁があったフェリーかけろまのWebサイト】
https://www.town.setouchi.lg.jp/senpaku/jikokuhyou.html
【島内のバス・加計呂麻バスのWebサイト】
https://kakeroma-bus.com/

念願の手作りジャム屋さんと、元・加計呂麻島ガイドの方との出会い

瀬相港から海岸線を走り、少し過ぎた「俵(ひょう)」集落あたりで内陸部へ入りました。細い峠道には車道に覆いかぶさるように大きな熱帯植物が生い茂り、まるでジャングルへ迷い込んだようです。
慎重に車を進めていると、突然、大きな水しぶきの音とともに瀧が現れました。
「ウティリミズヌ瀧」という名前の瀧で、別名「嘉入の瀧」。かつて沖縄と奄美地方に存在した女性の祭司であるノロの親神が、肌身を浄めるために使ったという聖域だそうです。そんな神聖な場所を車で通りがかって見ることができるなんて、なんて贅沢なことでしょう。
路肩に駐車し、車から降りて深く深呼吸をしました。
清々しい空気と「神聖な場所である」ということから、こころなしか、マイナスイオンもマシマシに思えてきました。
爽やかな瀧の音とマイナスイオンを充分に味わったのちに、嘉入の瀧を後にし、手作りジャムのお店がある「嘉入(かにゅう)」集落へと車を進めます。

左:嘉入の瀧 中央:ガジュマルとアシャゲ 右:嘉入の亀石
左:嘉入の瀧 
中央:ガジュマルとアシャゲ 
右:嘉入の亀石

浜辺のそばにある嘉入公民館の前に車を駐車し、手作りジャムのお店「かけろまの森marsa」へ。
公民館の前には公園のあずま屋に似た木像の建物が。一瞬、「海の家なのかな?」と首をかしげましたが、すぐにこれが島の「アシャゲ」なのだと気が付きました。アシャゲとは、奄美に古くから伝わる祭祀にまつわる建築物のひとつで、沖縄から伝わったものが独自の変化を経て奄美特有のかたちになったとのこと。道路を挟んで反対側にはトネヤという祭祀用の別の建物もありました。昭和50年ごろまではノロ(女性の祭司)が実際にここで祭祀を行っていたそうです。
昔はきっとここで、集落の方が大勢集まって季節のお祭りを行っていたのでしょうが、海を背に集落を歩いたときは地元の方と出会うこともなく、人の気配が感じられませんでした。
嘉入地区の人口は9世帯17名(2023年3月末現在・出典:瀬戸内町Webサイト)とのことで、島内の世帯数から見ても決して多い人数ではありません。このまま減少が進むと、祭りはおろかこのような貴重な建築物を維持するのも困難になるのかもしれません。2020年度には加計呂麻島にあるアシャゲのうち3集落のものが鹿児島県の重要文化財に指定されたそうですが、他の集落の祭祀用建築物も、県全体の貴重な財産として後世に残してほしいなと思いました。
そんなひっそりとした集落でも、手作りジャムのお店「かけろまの森marsa」はお客さんで活気にあふれていました。みんなのお目当ては無添加ジャムのランチです。
私が伺ったときは、3テーブルすべてが予約客で埋まり、途中で1組が帰ったもののすぐに次のお客さんが入店してくる状況でした。
お店に入ってまずびっくりしたのが、「窓がフルオープン!」です。
網戸なんてありません。蝶々もアブも窓からウエルカム。
時折トカゲが顔を覗かせます。
エアコンはもちろんなく、窓から気まぐれにやってくる風と扇風機が涼を取る手段。
ガラス越しではなく、目に直接飛び込んでくる森の青さに、段々と、窓が自然を切り取る額縁のように思えてきました!
ランチは、スープとパン、ピクルス、そして4種類の無添加ジャム。最後にピザ。もちろんすべてが手作りです。
この日いただいたジャムは、すもも・たんかん・島バナナ・シークワーサー。のちほどオマケでチョコバナナとレモンも味見させていただきました。どれも風味がぎゅっと凝縮されていて少量でも充分果物を感じることができました!
手作りのメニューに、お腹はもちろんのこと心までじんわりと満たされていくようでした。
ランチ以外にもペルー人のお嫁さんが始めた島バナナのジェラートがあり、とても美味しそうだったのですがお腹がはち切れそうなので断念。他のお客さんが食べているのを羨ましく眺めました。「濃厚だけど、するりと食べられる」とのことです。

  • ランチはこのほかにピザが
    ランチはこのほかにピザが
  • 作戦会議の様子
    作戦会議の様子

食後のまったりした時間のなか、店主にお話を伺うと、元々埼玉のご出身だったものの、長野への移住を経てここ加計呂麻島に移り住んだとのこと。島では、鳥が食べるだけで終わってしまう果物がたくさんあり、その活用方法を考えた結果、ジャムのお店を始めたそうです。
「あの、実は…」
ここで、私は旅の内容を話すことにしました。
「ご縁があった方におススメされた場所を訪ねようと思っているんです。
 どこか、地元の方が行かれる穴場的なスポットをご紹介いただけませんか?」
店主は一瞬、びっくりしたような顔をして、「うーん、この島は海しかないからねえ…」と首をひねりました。
「もしよかったらご紹介しましょうか?」
店主が困っているのを見かねたのか、隣のテーブルにいたお兄さんが声をかけてきました。
お兄さんは和歌山から移住してきた方で、元々は加計呂麻島のガイドをされていたとのこと。現在は島のスクールバスの運転手をしているのだとか。この日は、和歌山から来たご親戚の方と店を訪れていました。
元ガイドのお兄さんは私が泊まるところを訊ねたのち、お店にあった加計呂麻島の地図を広げだしました。作戦会議の始まりです。
お兄さんの話だと、先日の台風の影響で道路の状態が悪く通行止めになっている場所もあるため、なるべくなら県道を運転したほうが良いとのこと。島の運転に慣れておらず、事故を起こす観光客が普段から後を絶たないそうです。
そして、私が泊まる場所や道路の状況から考えると、「安脚場(あんきゃば)戦跡公園」はどうだろう、ということになりました。
第二次世界大戦のときの要塞跡地が公園として整備されているらしく、島の子ども達が小学校の遠足で訪れるのだそうです。
「あそこは外洋だから、島の海のなかでは他とは雰囲気が違うものね」
店主も頷いています。
また、店主からは隣の集落である「須子茂(すこも)」の海も綺麗だとオススメしていただきました。
「うちのお店のリピーターさんで、『実久(さねく)の海よりもキレイ』って言っている方もいるんですよ」
「実久ブルー」という名前があるほどの海よりもキレイだとは、期待が高まります。
二人のお勧めに従い、須子茂集落で海を見て、安脚場戦跡公園に行くことにしました。
「集落を通り過ぎて、峠を上り切ったら『振り向いて』くださいね!」と、須子茂の海を見るベストポジションも教えていただき、お店を後にしました。

【マイナスイオンを浴びまくった:嘉入の瀧】
〒894-2413 鹿児島県大島郡瀬戸内町大字嘉入
路肩への駐車可能。ただし側溝への脱輪注意!

【店主と元ガイドさんとのご縁があった:かけろまの森marsa】
〒894-2413 鹿児島県大島郡瀬戸内町嘉入 231
Webサイト:https://www.marsa-jam.com/
お客さん同士が仲良くなる不思議な空間。ジャムの種類が多すぎてお土産選びに迷う。ランチは前日までに予約を。

戦争の生々しさが残る安脚場戦跡公園

嘉入から車で2~3分ほどで隣の集落「須子茂」に到着し、そこでフェリーでお会いした学生3人組にみたび遭遇。その流れから、結局、実久地区の海を経由して安脚場戦跡公園へ向かいました。
ちなみに「実久」と「安脚場」は加計呂麻島北部の東西を走る県道「安脚場実久線」の両端にあります。島内を横断するドライブでした。

  • 須子茂のアシャゲ
    須子茂のアシャゲ
  • 須子茂の海を「振り向いて」撮影
    須子茂の海を
    「振り向いて」撮影

観光地化していたり昔の漁の跡が残っていたりなど、集落ごとに雰囲気が異なる海を眺めながらのドライブは楽しいものの、景色に気を取られていると急に道の状態が悪くなるなど油断がなりません。道幅も急に狭くなるので、車の運転に慣れていない方は相当の注意を払うか、もしくは運転がうまい方と一緒に来たほうが良いと思います。
安脚場戦跡公園の入口手前の道路も車がやっと一台通るほどの細い道。反対側から車が来たら絶対にすれ違うことができません!車をバックさせるのが苦手なので、「反対から車が来ませんように」とひやひやしながら運転し、安脚場戦跡公園の駐車場に到着したときは自然と安堵の溜息がこぼれました。
安脚場戦跡公園とは奄美大島要塞跡を公園にしたもので、弾薬庫や防備衛所などの建物が今も残されています。奄美大島と加計呂麻島の間にある大島海峡にはかつて連合艦隊の基地があり、安脚場戦跡公園がある場所は、その基地を守るために重要な施設だったそうです。のどかな島の風景からはとても想像がつきません。
建物をひとつひとつ周るなかで、80年ほど前、この土地には日本を守るために兵隊さんがたくさん来ていたんだなあ。この建物の中でどんな話をしていたのだろう。非番の日は何か楽しみがあったのだろうか。そんなことを思いつくままに任せながら歩きました。ここを守ってくれた私たちのご先祖さまがいるから、今の私たちがいるのです。
倉庫など、室内に入れる建物もありました。天井がとても低かったです。
大正時代の男性の平均身長は160センチくらいしかなかったと聞いたことがあります。建物もそれに合わせて低めなのかもしれません。または、台風が多いことも関係しているのかも。
そして軍の施設だったからさぞかし頑丈だろうと思いきや案外老朽化が進んでいて、中に入ることを躊躇した建物もあります。
こうして実際に建物に入らないと気が付かないこともあります。こういった遺跡は貴重ですので、ぜひ、反戦の教育と併せてこの施設を大切に保全していって欲しいなと思いました。
砲台跡の展望台から望む海は深い青で、今まで見てきた加計呂麻島の海とは雰囲気が少し異なりました。波も高かったです。
サスペンスドラマの最後のシーンに出てくるような、断崖絶壁へと向かう階段もありましたが、台風で階段が土砂に流されてしまっている箇所もありました。台風が多い地域なので、公園の整備も大変そうです。

  • 公園に残る戦争遺構
    公園に残る
    戦争遺構
  • 公園に残る戦争遺構
    公園に残る
    戦争遺構
  • 展望台から望む外洋
    展望台から
    望む外洋

【大パノラマの海を見渡せる:安脚場戦跡公園】
鹿児島県大島郡瀬戸内町安脚場
草むらにすっかり埋もれている建物もあり、突然の登場に驚く。なお、草むらにはハブがいる危険性があるので注意!

奄美旅3日目

奄美旅3日目
奄美旅3日目

旅の最終日は「諸鈍(しょどん)」集落で迎えました。波の音だけが聞こえる、静かな朝です。
諸鈍は加計呂麻島のなかで最も大きな集落です。海岸線沿いにあるデイゴ並木が有名。映画「男はつらいよ」のロケ地になりました。5月~6月になると樹齢300年から600年になる80本以上のデイゴが真っ赤な花を一斉に咲かせます。かつてはその花を目指して琉球王朝の交易船が入江に入って来たそう。なんともロマンのあるお話です!私が伺ったときは花がすでに終わっていたので、次回は花の季節に合わせて訪れてみたいなと思いました。
また、奄美旅2日目に食堂で夕食をいただいたときに地元のおじさんから教えていただいたのですが、このデイゴ並木は奥に行くほど木が大きく立派であるにも関わらず、観光客は手前でUターンすることが多いのだとか。散策するときは並木の奥まで歩くことをお勧めします。
宿泊はこのデイゴ並木のそばにある古民家に泊まらせていただきました。映画「男はつらいよ」の舞台となった家です。
家はまさに「田舎のおばあちゃんの家」といった感じです。トカゲの赤ちゃんや今まで見たことのない巨大蜘蛛が登場したり(毒を持たない蜘蛛でした)、屋根裏には鳥の巣があるのか夜も賑やかだったりしましたが、台所やトイレはリフォームされていてとてもきれいでした。
また、庭に当たり前のようにバナナの木が植えられていたのにはびっくりしました!
(島の人からすると、「庭に柿の木があるのと同じではないか」とのことでした…)

  • 諸鈍での風景
  • 諸鈍での風景
  • 諸鈍での風景
  • 諸鈍での風景
  • 諸鈍での風景
  • 諸鈍での風景
諸鈍での風景

朝の散歩に出かけようと思って身支度をしていると、「キョロロロ…」と、聞き覚えのある鳥の声が庭から聞こえてきました。
ホノホシ海岸で出会った、アカショウビンの声です。
庭をそっと覗いてみると、アカショウビンらしき鳥が遊んでいました。名前のとおり暗めの赤い色をした鳥だったので、すぐに分かりました。色は正反対ですが、カワセミによく似ています。
「なかなか姿を見ることができない」と聞いていたはずの鳥が普通に庭にいるなんて、もしかしたら、私たちが貴重だと思っていることが、この島では当たり前の光景なのかもしれないなと感じました。
集落を散歩していると、浜辺で犬の散歩をしている方や庭掃除をしている方、ゴミ出しをしている方など、地域で私たちがしているような「普通の暮らし」がそこにはありました。
集落の方は道でお会いすると必ず挨拶を返してくださいます。近くでお会いしたときは声で挨拶を交わし、少し遠いときには会釈をする。なんだか自分が集落の一員のような気がしてきました。
古民家をまるまる一棟お借りして宿泊したせいか、島の暮らしがより身近に感じられるような気がします。ホテルでの非日常を味わうのとはまた異なる良さがありました。

【島の日常を味わえる:伝泊リリーの家】
住所 : 鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍金久原394
Webサイト:https://den-paku.com/kominka/kominka_shodon
人数が多いならバーベキューなどをしても楽しそう。現地調達は厳しいので、奄美大島から材料を持参して。

再び戦争遺構へ・呑之浦の震洋隊基地跡

前の晩に食堂で夕食をいただいたとき、地元のおじさんから「安脚場戦跡公園に行ったならここも行くといい」と紹介してもらったのが「呑之浦(のみのうら)」集落にある震洋隊基地跡。
県道沿いにあるので車の運転も安心です。
加計呂麻島の南側も行ってみたかったのですが、天気は下り坂。早めに奄美大島に戻ったほうが良いと地元のおじさんからアドバイスを受け、震洋隊基地跡のみ拝見して加計呂麻島を後にすることとしました。
震洋とは、第二次世界大戦のときに作られた特攻用のボートのこと。船ではなく、ボートです。物資不足のため、ベニヤ板で作られていたそうです。「特攻」というと神風特攻隊が有名ですが、それ以外にも震洋を始めとした数々の特攻兵器により、多くの若者が命を落としています。
この呑之浦には、全部で114個ある震洋隊のなかから第18震洋隊が配置されました。180名もの隊員とともに隊長として赴任してきたのが、戦後の小説家である島尾敏雄氏。加計呂麻島を知っている方のなかには、この島尾氏の小説や映画がきっかけとなった方もいらっしゃるかも知れませんね。
震洋隊基地跡には島尾氏の記念碑が海を眺めるように建てられており、そこには、島尾氏が福島に縁があることが書かれてありました。両親の出身地である福島で幼少期を過ごしていたそうです。東北に縁のある方が日本の南端まで来られて、生活習慣や気候の違いに驚かなかったのだろうかと記念碑を眺めながら思いました。また、いつ震洋に乗って特攻に出撃するかも分からない状況で、どんな気持ちで日々を過ごしたのだろうかと思うと胸がいっぱいになりました。周囲が命の恵みにあふれた楽園のような土地ですから、なおさら死というものに対する感情が浮き彫りになったのではないでしょうか。これは島尾氏だけに限ったことではなく、呑之浦の第18震洋隊の隊員、ひいてはすべての兵隊さんにも言えることだと思います。
舗装された遊歩道には私以外には誰もおらず、歩を進めるごとにカニがかさかさと逃げていきます。入江には波もほとんどなく、加計呂麻島の他の場所で見かけた海とは異なり、遠くはキレイな青色なのに手前は赤く見える不思議な浜辺でした。浜辺の赤土のせいです。
そのような浜辺を眺めながら遊歩道を少し歩くと、山肌をくりぬくように小さなトンネルが作られていて、そこには震洋のレプリカが納められていました。震洋が敵機に見つからないよう、トンネルの中に隠していたそうです。

  • 呑之浦の浜辺
    呑之浦の浜辺
  • 島尾敏雄氏の記念碑
    島尾敏雄氏の
    記念碑
  • 震洋のレプリカ
    震洋のレプリカ

震洋はブラックバスを釣る際に乗る、小型のバスボートくらいの大きさです。特攻に行く兵隊さんひとりが乗るのだから当たり前なのかもしれませんが、思ったよりも小さいなというのが正直な感想でした。
私がこの震洋にひとりで乗ることになったら、心細くなってしまいそうです。
島尾氏が率いる第18震洋隊は、終戦間際の昭和20年8月13日に出撃命令が出るものの敵艦隊が現れず、結局、そのまま終戦を迎えることとなります。
それぞれの故郷に戻った第18震洋隊の皆さんは、ふとしたときに戦時中の極限状態と、この加計呂麻島の豊かな自然を思い出していたのかも知れないなと感じました。

【特攻隊の基地跡:震洋隊基地跡】
〒894-2231 鹿児島県大島郡瀬戸内町押角
楽園のような自然のなかに突如現れるトンネルがなんだか物悲しかった。トンネル内には怖くて入れず。

突然のスコールと、島の通学事情

加計呂麻島観光を早めに切り上げるべく、レンタカーを返して奄美大島行きの船を待つことにしました。行きはフェリーだったので、帰りは瀬相港から乗り合いの海上タクシーを利用することに。
船酔いしないよう港近くの「いっちゃむん市場」でおやつを買い、港のあずま屋でおやつをいただきながら船を待っていると、突然、ドー!!!!!っという音とともに大粒の雨が。スコールです。
あずま屋の小さな屋根なんて、屋根としての機能を果たしていません。膝から下が雨でびたびたになってしまいました!
スコール後に晴れたのもつかの間、空がまたグレー色に染まりつつあります。波も騒ぎ始めていました。早めに旅を切り上げてきて正解だったなと思いながら、海上タクシーに乗りました。
なお、映画「男はつらいよ」では、奄美大島から加計呂麻島へ向かうシーンで海上タクシーが使われました。映画に出てきた船「でいご丸(船長役は田中邦衛氏)」は、瀬相港ではなく生間港の発着となりますのでご注意ください。

***

乗り合いの海上タクシーを利用したのは、私以外には作業服のおじさんと老夫婦、そして野球のユニフォーム姿の中学生。
老夫婦と中学生が話しているのを聞いていると、どうやら野球の練習のため、奄美大島に毎週通っているとのこと。島には野球の試合ができるだけの子どもの数がいないようです。
「それじゃあ、高校はどうしてるんですか?」
思わず老夫婦に訊ねてしまいました。
奥さんから、加計呂麻島には高校がないので奄美大島の高校に行くか、離島で頭の良い子は鹿児島市まで出るのだと教えていただきました。加計呂麻島の子ども達は、小中一貫校で児童・生徒数がせいぜい10人ほどの小さな学校を卒業すると、生徒が300人は在籍する奄美大島の高校に行くこととなります。なかには高校でどう振舞ったらよいか分からずクラスに馴染めない子も出てくるのだそうです。
なお、加計呂麻島の中学では修学旅行や行事を島内すべての中学校が合同で行うらしく、修学旅行は3年に1回、そのとき在籍している中学生すべてが、学年に関わらず参加するそうです。そのため、島内での同世代の子どもたちの結束はとても強いのだとか。
希薄になりつつある都市部の人間関係とは逆のとても濃い関係性は、過疎地で人との接触を渇望するからこそ生まれるのかもしれませんね。
老夫婦は、海を渡って向かい側の古仁屋に住むお孫さんに赤ちゃんが生まれたそうで、ひ孫を見に行くとのことでした。お二人が持つ紙袋の中には、たくさんのお土産が入っていることでしょう。
まだこうやって歩けるからいいけれど、どちらかが寝たきりになったら島を出るかどうか考えてしまうかもしれない、子どもたちは島に戻ってはこないだろうから。そんなことをおっしゃっていました。
古仁屋港で海上タクシーを降りると、先に船を降りていた中学生が船を停泊させるためのロープをビットにくくりつけていました。慣れた手つきです。毎週、野球の練習で海を渡るたびにお手伝いをしているのでしょう。船を同乗した老夫婦や私にまで挨拶するなど、都市部に住む子どもたちには見かけない姿でした。
老夫婦とも別れ、古仁屋の町をうろうろしながら軽トラを停めていた駐車場へと向かいます。1日ぶりでエンジンがうまくかけられるか心配でしたが、なんとか無事に出発することができました。

  • ハイビスカスの生垣
    ハイビスカスの
    生垣
  • 海上タクシー
    海上タクシー
  • 旅の途中で見かけたソテツ
    旅の途中で
    見かけたソテツ

最後の観光とソテツの歴史

天候が悪化したときでも対応できるように、奄美大島の最後の観光地は奄美空港に近い「鹿児島県奄美パーク」にしました。
前日のうちに、ジャム屋さんで出会った元ガイドのお兄さんから「雨が降ってきたり時間調整が必要になったりしたら、ここに行くといい」と教えてもらっていたのです。
しかしながら、旅の終わりが近づくと、なんだか寂しくなるものです。そして、寂しくなるとお腹がすいてしまうものです。
奄美パークへと向かう途中で、奄美旅初日にホテルのスタッフの方から教えていただいた「奄美大島唯一のファストフード店」に立ち寄り、「全国どこでも同じ」というちょっと不自然だけど失敗のない味を久々に味わうこととしました。
普段はファストフードをいただくことはありませんが、奄美の大自然に触れて浄化されまくったせいか、添加物が入った都会の味にどこか安心感を覚えてしまいました。
部屋がキレイになりすぎるとどこか落ち着かなくなる感じに似ています。移住してきたホテルのスタッフの方も、同じ気持ちを抱いたのかもしれないなと思いました。

***

奄美パークでは奄美群島の歴史や風土を紹介する展示があり、私が特に気になったのが「有毒植物であるソテツを食べて飢饉を乗り越えた」というお話。同じ食べ物でも、ファストフードとはだいぶ毛色が異なります。
江戸時代、薩摩藩に属していた奄美大島は、藩の財政を支えるためにサトウキビの栽培を主に行っていました。サトウキビ以外の作物を作ると厳しい処罰があったようです。
ですが、サトウキビが不作だった場合は他に作物がないので飢饉に見舞われてしまいます。それを乗り越えるために試行錯誤でソテツの毒抜き方法を編み出し、食用としてソテツを扱ったとのことです。
ソテツは観葉植物としてのイメージが強く、葉もチクチクしているので「あれを食べることができるの!?」と驚きましたが、戦後の食糧難の際もソテツは島民の飢えを救ったそうで、それほど昔の話ではないのだと知りました。
展示を見終わった私はさっそくお土産コーナーに行き、ソテツ関連のお土産がないか探してみましたがどこにもありません。
お話を伺ってみると、毒抜きができる人が減り、今は地元の人でもなかなか食べることができないそうです。残念!
次回の旅の目標(ソテツをいただく!)をまたひとついただき、今回の奄美旅は幕を閉じたのでした。

【ソテツと島の歴史を知る:奄美パーク】
鹿児島県奄美パーク
〒894-0504  鹿児島県奄美市笠利町節田1834
Webサイト:https://amamipark.com/
無料ゾーンでも充分楽しめるものの、島の歴史や文化が学べる有料ゾーンは時間があればぜひ行きたいところ。お土産屋さんの商品がけっこう充実していた。

最後に

軽トラのスピードが上がらない!というハプニングから始まった奄美旅。
たくさんの方とのご縁とお心遣いで、一生の思い出に残るような旅ができました。
なによりも、移住してきた方、島に住む方それぞれが皆さん暖かく、それはきっと奄美の気候や自然が人々の心を優しく癒してくれているからだと思います。
一方で、建物の老朽化などといった事情で、島の貴重な文化や歴史の跡が廃れていってしまうのではと感じる場面もありました。手つかずの自然を大切に残しながらも、人の手をかけるべきものについては何らかの対策が必要なのかもしれないなと感じました。
本土の都市部でせわしなく生きる私たちのことも大らかに受け止めてくれる奄美大島、そして加計呂麻島。良かったら、次のデイゴ花の季節(5月~6月)に出かけてみませんか?
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

追伸
旅の写真の整理をしていたら、夜空をスマートフォンで撮影した際、たまたま「スターリンク衛星」らしきものが写り込んでいました!
皆さんの旅のご利益があることを願って、この写真を掲載いたします。良い旅を!

左下にスターリンク衛星らしきものが。
左下にスターリンク衛星らしきものが。