
犬との散歩が教えてくれた「モクレン」。

こんにちは。ワンコと神社仏閣巡りが大好きな、にうと申します。
先日、「地味だけれども、しみじみと感動したこと」があったのでペン(という名のキーボード)を取りました。
犬との散歩が、大切なことに気付かせてくれた……!というお話です。
短い時間ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。
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私は昨年末、都内勤務をしていた職場を辞めて、実家のある東北の地方都市へ戻ってきました。
家族の介護の関係でのUターンです。
正直いうと「工夫すればもう少し仕事を続けられたかな・・・」という状態。
スッキリとひとかけらも後悔はありません!とはとても言いきれず、都内から荷物と共に車で戻ってきたのちも、北国の冬に特有の、どんよりと低い曇り空のようにどこかモヤモヤとした日々を送っていました。
仕事を辞めて都内から地方に戻る際に、決めていたことがひとつだけありました。
それは、「犬を飼うこと」。
上司との評価面談で「犬を飼いたいから仕事を辞めたい」と、7割は冗談、残りは本気で話していたものの、フルタイムかつ残業も多い仕事ではペットどころか自分のケアもままならない状態だったため、通勤の際に見かけるトイプードルやミニチュアシュナウザーを見かけては羨ましさと諦めが混じったため息をついていました。
なので、都内から引越して荷物の整理をあらかた終えた頃、「せめて犬は飼いたい」と半ば執念で家族を説得。
生後2か月半の子犬をお迎えし、念願の「犬との暮らし」を始めることができました。
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子犬は飼い始めてすぐには散歩に行けないんですよね。
ワクチンを何回か打って、その後でようやく外に連れていくことができるんです。
節分の頃に犬を家に迎えて、散歩に行けるようになったのは全国ニュースで桜の開花宣言が聞こえだした頃。
「ようやく外に連れて行ける」
正直言ってしまうと、毎日同じように過ごす何も変わらない日々や室内での犬との遊びにマンネリ感を覚え始めていたので、犬にリード(散歩ひも)を付ける練習をするのが待ち遠しくて仕方がありませんでした。
朝と夕方に、それぞれ20分程度。
毎日の犬との散歩は、短い時間ながらも新しい発見と感動を与えてくれました。
例えば、「自分はこんなにも運動不足だったのか」という驚きに近い発見。
たかが20分と思いきや、子犬の予測不能な動きに反射神経と足や腕の筋肉が刺激され、あんがい運動になります。
そして、「犬を通じて地域の人と交流できたこと」。
地元に戻ってきても学生の頃の友人たちはほとんどが県外で暮らしていたし、近所の方は皆さん高齢であまりお会いしたりお話ししたりする機会がなかったので、家族としか口を利かない日々を過ごしていました。
そんな私にとって、名前も住む場所も知らない、年齢も服装もバラバラな人たちと「犬を散歩させている」という共通事項だけで挨拶を交わし、会話をすることができたのはとても有難いことでした。
最初は「声を掛けられてそれに応える」状態でしたが、徐々に自分から挨拶をすることができるようになりました。
飼っている犬が人懐こいこともプラスに働いたと思います。
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そんななかで、最近感動したのが「春は確実に近づいている」ということ。
東北あるあるだと思うのですが、都内を始めとする関東地方と東北地方では、2月後半から3月にかけての季節の差がとても大きく感じます。
他の季節でも温度差はあるのはあるんですが、「春の訪れの時間差」は単に気温の問題だけではなく、精神的にも差(隔たりとまではいきませんが…)を感じます。
車で東北自動車道や常磐自動車道に乗って関東方面へと出かけると、その差は特に顕著に。
南下すればするほど気温は上がり、途中の茨城や埼玉のサービスエリアで「暑くて気持ち悪い」とインナーを1・2枚脱いだり、地元で小雪が舞っていて、うっかりダウンコートなんか着て車に飛び乗ってしまった際は、関東平野の霞んだ空の下、満開の桜や終わりかけの梅の花を横目にファストファッションの路面店を探したりする始末(春まっさかりのなかでダウンコートはとてもじゃないけど着られません!)。
「都内の桜は満開か~」
先日も、朝の情報番組でテレビの画面いっぱいに広がる桜並木を見ながら、こっち(地元)ではまだまだ桜なんか咲かないけどね、と、どこか別の国の出来事のように覚えながら犬の散歩の準備をしていました。
(都内で働いていたら、今頃、桜の名所で花見をしていたのかなあ・・・)
子犬の散歩って、意外と気を使います。
間違って犬がタバコの吸い殻を食べてしまわないように。
ワクチンは終わったけれど狂犬病の注射がまだ終わっていないから、他のワンちゃんとご挨拶しないように。
犬が嫌いな人もいるから、人とすれ違う際にじゃれついて邪魔にならないように。
なので、ずっと下を向きながら散歩をしていました。
ですが、その日は、ふと顔を上げてみました。
テレビ越しに満開の桜並木を見たからかもしれません。
私がいつも犬の散歩をする遊歩道では、桜が開花する気配なんてもちろんなくて、まだピンクにもならない固い蕾が枝の先にあるばかりでした。
ですが、その代わりにモクレンを見つけました。
むくむくと太った白いモクレンが、花の先をピンクに染めて満開の状態でした。
「毎日、歩いていたのに」
下を向き続けていたせいで、花が咲いていたことにも気が付きませんでした。
子犬の動きに気を付けながら、その日はいつもより顔を上げて散歩をしてみました。
モクレンばかりではなくて、民家の庭先に咲く梅の花、ミモザの花。
道路際に置かれた鉢などに、その家の人が植えた春の花たち。
塀の隙間から顔を表したナズナ。
「こんなにも花が咲いていたんだ」
遊歩道では固い蕾だった桜も、近くの小学校にある桜並木では、ピンクに染まり始めたものもいくつか見つけました。
北国なりに春は確実に近づいている、
そう感じました。
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犬を飼うことがなければ散歩をすることもなく、暮らしのなかで季節の変化に気付く機会も少なかったと思います。
考えてみると、都内で働いていた頃は「気付くと桜の季節が終わっていた」なんてことがけっこうありました。
北国よりも早い春。
随所にある桜の名所。
都会の華やかさ・賑やかさはもちろんですが、どこか「春の訪れの時間差」に憧れを抱いて都内での暮らしを営んでいたものの、実際は春という季節を味わうゆとりもありませんでした。
今回、「思い残すことはない」とは決して言えない状態でのUターンでしたが、犬と暮らすことで、季節の小さな変化に気付くことができ、どこか救われたような気持になりました。
閉塞感のある北国の長い冬。
一見、足踏みをしているように思えても、着実に時間は過ぎ、季節は移っていく。
「この街で暮らしていこう」
私の住む街は都会のような華やかさもなく、春の訪れは随分とのんびりですが、この場所で出来ることを探していきたいと考えています。
そして、遊歩道で満開になっていたモクレンや、民家に植えられた梅やミモザなどが、そこに植えられて花が咲くまでの間に辿ってきただろう日々を想像してみると、
「植木の職人さんや肥料を作る人、遊歩道を手入れする市の職員さん、花好きの住民の方など、たくさんの人の手によって慈しみ、育てられてきたんだなあ」
「その人たちのおかげで今、こうして私は春の近づきを感じることができるんだなあ」
と、しみじみと感謝の気持ちが湧いてきました。
たくさんの人たちのなかで一人でも欠けていたら、そこに植えられているのはモクレンではなくて別の木だったかもしれない。
普段、何気なく過ごしている日々の風景も、実はとんでもない確率の上に成り立っているのかもしれない。
そんなことを考えました。
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もしかしたらこの文章を読んでくださっている方の中には、日々の暮らしに疲れたり、「このままでいいんだろうか…」と焦りを感じたりしている方もいらっしゃるかもしれません。
毎日変わらない生活に、閉塞感を感じている方もいらっしゃるかもしれません。
そんな場合には犬を飼ってみて…なんて安易なことはとても言えません。
どんなに小さくても命がある存在ですので、無責任にお勧めすることはできません。
ですが、犬はいなくても散歩をすることはできます。
散歩をして、植物から季節の移ろいを感じることはできます。
植物が花を咲かせるまでに携わった人たちに、想いを馳せることができます。
次のお休みの日には公園や神社仏閣などに出かけて、季節の花たちの前で、ふう、と呼吸をして、がんばっているご自身を労わってあげてみませんか。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。