※文章中の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
執筆者:マルハナバチ
母の日特集

たらちねの、母の字のつく神社8選

執筆者:マルハナバチ
執筆者:マルハナバチ
母のつく神社のひとつ、愛知県豊田市の挙母神社
母のつく神社のひとつ、愛知県豊田市の挙母神社

こんにちは!毎年「あれ?私も母ですが?」な母の日ライフを送りがちな主婦ライターのマルハナバチです。
今回は母の日特集ということで、名前に『母』の字が入っている神社の情報を頂きました。

・神母(いげ)神社…高知県香美市、南国市、土佐市ほか ・宇都母知(うつもち)神社…神奈川県藤沢市 ・嘉母(かも)神社…愛媛県西条市 ・挙母(ころも)神社…愛知県豊田市 ・内母(ないも)神社…三重県桑名市 ・楠母(なんぼ)神社…大阪府富田林市 ・母智丘(もちお)神社…宮崎県都城市、栃木県那須塩原市、東京都町田市 ・守母(もりぼ)神社…福岡県須惠町

意外とたくさんありますね!
全ての神社に取材に行くのはちょっと無理。
そのため、今回はあえての『ネットで深堀り大作戦』を決行致します。それならミッション・ポッシブル。
では、それぞれどのような神社なのか調べていきましょう。

神母(いげ)神社…高知県香美市、南国市、土佐市ほか

この名前の神社は、高知県にのみいくつも存在しており、おいげさんと呼ばれ親しまれているとのこと。

創建:
不詳
祭神:
保食神(ウケモチノカミ)
由緒:
土佐国において、稲荷神社の代わりとして多く存在する。

保食神は、訪ねてきた月読命をもてなすため口から食物を出し、汚らわしいと殺され、遺体から牛馬や五穀が生じた…という食物の起源神話をもつ神。
ウケ・ウカは食物を指し、豊受神(トヨウケノカミ)、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)など、これらの神は食物や穀物の豊穣を司る神なのです。
一部の情報では、祭神が泣沢売命(ナキサワメノミコト)となっていました。
これは涙の神で、國學院大學のHPに湧き水の自然神が神として神道に組み入れられたのではという記述があります。こちらも農耕と関係する神ですね。

土佐国では何らかの理由で宇迦之御魂神(ウカノミタマノオオカミ)を祀る稲荷社の代わりに、同じ食物神の保食神を祀る神母神社が建てられた、ということです。
今回、それ以上のことはわかりませんでしたが、これは本格的に調べたら面白そうですね。

  • 新緑に包まれた挙母神社境内
    新緑に包まれた
    挙母神社境内
  • 神木の楠。その高さなんと25m!
    神木の楠。
    その高さなんと25m!

宇都母知(うつもち)神社…神奈川県藤沢市

創建:
459年(雄略天皇時代)
祭神:
天照大御神(アマテラスオオミカミ)
稚産巣日神(ワクムスビ…豊受神の母神)
若日下部命(ワカクサカベノミコト…雄略天皇皇后。養蚕を奨励したといわれる)
由緒:
延長5年(927年)の『延喜式神名帳』にも記述のある、由緒ある神社。

延喜式(えんぎしき)は、平安時代に編纂された格式。
神社の運営や儀式の詳細、神職の組織、人数まで厳格に定められており、その頃の神社やその運営実態の貴重な資料となっています。
『延喜式神名帳』では「相模国十三座(式内社)の内 高座郡六座の内の一座 宇都母知神社」と記されているとのこと。
万葉仮名で当てられた表記が、その歴史の古さを証明しています。

嘉母(かも)神社(愛媛県西条市)

創建:
天明2年(1782年)
祭神:
倉稲魂命(ウカノミタマ)、保食神(ウケモチ)、和産霊神(ワクムスビ)、
竹内立左衛門(たけのうちりゅうざえもん)
由緒:
西条藩の田園地帯として開拓された禎瑞(ていずい)地域の産土神として創建される。
祭神の一柱として祀られた竹内立左衛門は、この地域で干潟干拓を行った功労者。

“勇壮な加茂川の土手に佇み、西条祭りの日にはスタート地点として多くの人で賑わう。
全国利き水大会で「一番おいしい水」に選ばれた湧水があり、「神の水」ともいわれる程の名水として知られている”(愛媛県観光情報サイト いよ観ネット より)

開拓された土地に食物神と功労者を一緒にお祀りするという、まさに郷土の歴史そのものの神社。
こちらの『母』は、加茂という地名を置き換えたものということでしょうか。
日本一おいしい水は御神水とも呼ばれているそう!ぜひ一度頂いてみたいですね。

  • 伊勢湾台風の被害も記された挙母神社の石碑
    伊勢湾台風の被害も記された挙母神社の石碑
  • 拝殿。ここで神楽や巫女舞が行われる
    拝殿。ここで神楽や巫女舞が行われる

挙母(ころも)神社(愛知県豊田市)

創建:
文治5年(1189年)
祭神:
高御産巣日神(タカミムスビノカミ…天地開闢のとき、二番目に出現したとされる)
瓊々杵尊(ニニギノミコト…天孫降臨した初代天皇)
栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメノミコト…ニニギノミコトの母神)
天水分神(アメノミクマリノカミ…ミクマリは水を配るの意、農業神)
国之水分神(クニノミクマリノカミ…アマノミクマリと対になる神、農業神)
由緒:
三河国に定住した源義経の元家臣、鈴木重善が大和国吉野から子守明神を勧請し祀ったもの。

瓊々杵尊母子はわかりますが、なぜ農業神が子守明神?と思ったら、ミクマリ→ミコモリ→子守と転じ、子守明神となったとか。農業神の、実を結ぶというイメージも結合したのでしょうか。
こちらはワタクシの地元愛知県なので、今回唯一取材に行きました。
子守明神というだけあって、お宮参りのご夫婦と赤ちゃんが何組も訪れていました!
小さな小さな赤ちゃんを抱いてお詣りする姿、思わずこちらまでニコニコしてしまいます。

内母(ないも)神社(三重県桑名市)

創建:
不詳(戦国時代の戦火で記録が焼失したという話も)
祭神:
面足神(オモダルノカミ…オモダルは人体が完成し、不足したところがない、の意)
加茂別雷神(カモワケイカヅチノカミ…全国の加茂神社で祀られている神。火雷神の子)
弥都波能売神 (ミヅハノメノカミ…水の女神)
由緒:
HPがなく、ネットでも情報が少ないのでわからず。

あるサイトでは『主祭神の面足神は多度大神に祀られた天目一神の妻神』と書かれていましたが、面足神は男神。
どこかで祭神が変わってしまったのかもしれませんね。
戦火によってその由緒がわからなくなった寺や神社はきっと、他にもたくさんあるのでしょう。

内母神社は、秋の祭礼で石取祭りが行われます。
鉦と太鼓をはやしながら祭車をひき廻して内母神社まで行列し、多度川から取った栗石を神前に奉納するというお祀りですが、石を奉納する意味まではわかりませんでした。詳細求む!
8月に行われる桑名市の桑名宗社の石取祭りは『日本一やかましい祭り』として有名ですが、こちらの石取祭りは地域のお祭りとして行われている様子。
そういうお祭りもまたいいものですよね。

楠母(なんぼ)神社(大阪府富田林市)

創建:
昭和16年(1941年)→昭和50年(1975年)ごろ廃社
祭神:
楠木正成の妻久子
由緒:
楠木正成父子を支えた良妻賢母としての久子を称えるため

南北朝時代の武将楠木正成が戦死し、その首が息子のもとに届けられた際、正行が自刃しようとする。
これに対し久子は母として、天皇への忠誠と父への孝行を説いたという。
日中戦争の兵士の遺族を慰撫する目的での創建だったということですが、太平洋戦争が始まった年だということも考え合わせると、良妻賢母の逸話を利用した戦争プロパガンダの一環であったと言われても仕方ないかもしれません。
戦後、後を継ぐ人がなく廃社となったのも不思議はないと言えるでしょう。
しかし、地元の方には親しまれていた場所だったのか、下記のような続報がありました。

楠木正成の妻ゆかりの「楠母神社」、住民の憩いの場に 大阪・富田林
(2018/5/30 16:42 産経ニュース)

建てられた経緯はどうあれ、そこに人々が集い様々な思い出が積み重なることにより、神社とはまた違う形で残っていく。こういうこともあるのですね。この先ずっと、たくさんの家族が幸せに憩う場であってほしいものです。

  • 挙母神社の神輿殿。本殿の真向かいにある
    挙母神社の神輿殿。本殿の真向かいにある
  • 本殿。実は左手の鳥居から奥に入れます
    本殿。実は左手の鳥居から奥に入れます

母智丘(もちお)神社(宮崎県都城市、東京都町田市、栃木県那須塩原市)

母智丘神社は全国に三か所。調べてみたら、それらが出来ていく過程が面白いのです。

○都城市の母智丘神社

祭神:
豊受姫大神 (トヨウケヒメオオカミ)
大歳神(オオトシノカミ…穀物が実るのに一年かかることを表す、実りの神)
由緒:
江戸時代中期に、それまで崇拝の対象となっていた稲荷石と洞穴(古代の遺跡)を祀るため創建された。
明治3年、地頭の三島通庸(みちつね)が参詣し、荒廃していた社の再興を図った。

○那須塩原市の母智丘神社

祭神:
豊受姫大神
大歳神
三島通庸命
由緒:
明治13年、三島通庸がこの地に農場を設立し開拓を始めた。
三島通庸が、宮崎県都城市の母智丘神社の御神体の複製が祀ったのがこの社である。

三島通庸という方は、明治維新の志士として活躍し、明治になってからは農地開墾や道路造成などを推し進めたこの地方の名士です。
東京府権参事をはじめ、山形、福島、栃木の県令を歴任、地方長官、そして警視総監としても実績を残し、それらの功績によって、子爵に叙せられたとのこと。
今でも彼の子孫の方々が塩原温泉祭に地域の恩人として招待され、神社の例祭にも参列されているそうです。
こんなニュースもありましたよ。この地方の皆さんに本当に尊敬されているんですね…すごいことです。

偉大な県令に思いはせ 那須塩原・三島神社で例大祭
(2016/10/10 07:00 産経ニュース)

○東京都町田市の母智丘神社

祭神:
豊受姫大神
大歳神
創建:
大正8年(1919年)
由緒:
宮崎県都城市の母智丘大神の神徳を感得した黒木昇、黒木ハナの両人が、その御分霊を勧請した。
最初は自宅に奉斎したが、家屋が鳴動するなどの不思議なことが起こったため、社を建てそこに祀った。

母智丘という地名も、万葉仮名を当てたようで大変古い地名のように感じられます。
しかしこの三つの母智丘神社の成立過程は、どのように神社が増えていくかの過程を見るようで面白いですね。

守母(もりぼ)神社(福岡県須惠町)

創建:
天正元年(1573年)
祭神:
慈照天眼禅尼
由緒:
主君の子を守るため命を落とすも、子供たちの守り神となると誓った乳母を祀った

“町内にあった山城である高鳥居城落城の際の悲話
乳母の慈照天眼禅尼が杉弾正の子を連れて落ちのびる途中、岩陰に潜んでいたところ、子の泣き声で見つかり捉えられてしまい、首をはねられた際、「自分が殺されても世の中の泣く子の味方となり守り続ける。」と誓ったことにちなみ、子守の神・夜泣き止めの神として祭られている。”
(福岡県須恵町HP より)

この神社の『母』は、主君の子を守った乳母でした。
昔、貴族や武家にとって乳母は特別な存在でした。主君の子であるだけでなく、自らの乳を与えて育てるのですから、育てる方も、育てられる方も愛情が湧くというものです。
徳川家光の治世を支え、鼎の一脚と呼ばれるほどの重要な位置を占めた春日局が有名ですね。
今際の際に、自分は死んでも世の全ての子供を守り続ける、と声を振り絞ったという彼女は、血の繋がりに関係なく母そのもの。
愛情とはこういうことなのだと教えられます。
それゆえに、いまも語り継がれ、参拝する人が絶えないのでしょう。

  • 挙母神社の子守天満宮
    挙母神社の子守天満宮
  • ここではお稲荷さんも子守稲荷
    ここではお稲荷さんも
    子守稲荷

母の日特集、いかがでしたでしょうか。
母という字には、実母という意味だけでなく、多くの意味があります。
母親代わりの女性、親戚の年長の女性、帰るべき場所。
それらも全て、広い意味では母なのです。
もうすぐ母の日。
あなたにとっての『母』たる人に、あらためて日ごろの感謝を伝えてみてはいかがでしょうか。