
Suzy
桃太郎伝説は山梨県にもあった【子神神社】
鬼の血がしみ込んだ赤土のある神社??
おこしにつけたきびだんご~
ひとつわたしにくださいな
これから鬼の征伐(せいばつ)に
ついて行くならやりましょう
この童謡の主人公、桃太郎の昔話にまつわる有名な歌
日本人なら誰でも知っていますよね。
桃太郎伝説の発祥は、岡山県岡山市をはじめ奈良県田原本町、香川・高松市、愛知・犬山市など 全国各地にあります。
例えば、岡山県の桃太郎伝説は、吉備津彦という天皇の皇子が百済の王子を討った人物が桃太郎のモデルとされています。
岡山県の吉備津神社には鬼退治神話が残っているそうです。
近代になり、昭和5年(1930年) 岡山市の難波金之助が『桃太郎の史実』を公刊し、全国的に注目されるきっかけになりました。
その後、昭和37年に岡山で開かれた国体で、県のアピール材料として桃太郎伝説が揚げられたことも岡山の桃太郎伝説を有力にする材料にもなったと言われています。
奈良県田原本町には 吉備津彦の父親である7代 孝霊(こうれい)天皇の宮が置かれており、成人後ここから西に向かい吉備を平定したことから、桃太郎発祥の地としているそうだ。
香川県高松市は、“鬼無”という地名があり,桃太郎が鬼ヶ島から鬼を退治して 鬼がいなくなった場所とのことです。
愛知県犬山市には “桃太郎神社”があって“桃太郎誕生の地”と称して 桃太郎に関する像が多数置かれています。
そして、今回紹介する山梨県の大月市にも桃太郎伝説が語り継がれているのです。
全国各地諸説ある桃太郎伝説の中で、大月市のものにはどんな鬼が登場するのでしょうか?
節分ということで、鬼にスポットライトを当てて見て行きたいと思います。
まずは、大月に残る桃太郎の昔話や昔話に描かれた絵、そして実際に鬼の痕跡が残る地を巡って行きます。
桃太郎の昔話
山梨県大月市には、桃太郎の昔話が残されています。
少し長いですが、郷土の昔話をどうぞ…
昔昔、岩殿山の西南にある九鬼山には十匹の鬼が棲んでいて、その中の一匹は赤鬼で他は青鬼でした。赤鬼は背丈も大きく力も強く暴れん坊だったので、遂に青鬼達から仲間はずれにされ、岩殿山に棲みついたが、やけになって乱暴を働き、里に出て女や子供をさらったり、牛馬を盗んで食べたりしたので、岩殿山の周りの村人達は、えらい困り、ひどく怖れていたそうです。
特に岩殿山の東北の村には、美人が多く時々鬼にさらわれた。困った村人は徳巌山に庵を建てて住んでいたえらいお坊さん「どうしてらよかんべえ」と相談したら、「家の周りに葛の根を掘って植えなさい」と言われたので、その通りにしたら年々葛の葉が茂り家々を隠したので、それからは娘達がさらわれることもなくなったので、この村を葛野と名付けたそうです。
さて岩殿山の東に百蔵山(ももくらやま)(桃倉山)という山があり、ここには桃の木がたくさん生えていた。この山から特別大きな桃が一つ転がり落ちて葛野川に入り、流れ流れて下流の上野原の鶴島に流れていきました。
その鶴島には仲の良いお爺さんとお婆さんが住んでいて、お爺さんは山へ柴刈りにお婆さんが川で洗濯をしていると川上からどんぶりこどんぶりこと大きな桃が流れつきました。
「なんとでっかい桃だんベ」と拾い上げたお婆さん家へ持って帰り、お爺さんと一緒に食べようと割ったら、中から可愛い元気な赤ん坊が生まれてきたそうだ。
桃太郎と名付けられたその子どもは、強く逞しく成長し、岩殿山の鬼のことを聞き、ひとつ退治してやろうと、お婆さんにキビ団子をつくってもらって出かけました。
途中、犬目で犬を鳥沢で雉子を猿橋で猿を家来にし、きび団子を食べて元気をつけ大声で「岩殿山の赤鬼よ、これから桃太郎が貴様を退治に行くぞ」と叫んだら、昼寝をしていた鬼は目を覚まし、大いに怒って手にした石杖を二つに折り、声のした方へ投げつけた。左手だったが、地響きをたてて突き刺さり大きな石が動くほど揺れた。ここを今「石動」と呼んでおり、石の杖を「鬼の杖」と呼んでいる。
やがて西の方へまわった桃太郎が「赤鬼めー、覚悟しろー」と叫ぶと鬼は物凄い唸り声をあげて右手に持っていた石杖を桃太郎の方へ投げつけた。今度は勢い余ってびゅーんと桃太郎の頭上を飛び越して笹子の白野と原の境に突き刺さった。これを今でも「鬼の立石」と呼んでいます。
石杖をなくした鬼は、岩石を持ち上げて投げつけたり蹴飛ばしたりして暴れ狂った。そのため岩殿山の頂上近くにあった大きな岩石は、南の桂川に転がり落ち、山の形が変わるほどだった。
鬼は頑張ったが、追い詰められて、遂に東にある徳巌山に逃げようと片足をかけたところ股が裂け、とうとう死んでしまった。このとき飛び出した腸は固まって岩石となり下の畑の隅に転がっていて村人は「鬼の腸」と呼んでいました。そのとき流したおびただしい血は、土の中にしみこんで、今でも赤い血のような土が岩殿の子神神社のあたりから沢山出てくるので「鬼の血」と呼んでいる。
「郷土の昔話」より
*岩殿山*(ウィキペディアより)
山梨県大月市賑岡町にあった日本の城。標高634メートルの岩殿山に築かれた山城。 甲斐国都留郡の国衆小山田氏の居城とされ、戦国時代には東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていたことで知られた。山梨県指定史跡。
桃太郎伝説の舞台 7か所
次は、桃太郎伝説の舞台を紹介していきます。
小高い山に囲まれた地域に、鬼の痕跡がありました!
①鬼の岩屋(円通寺新宮跡)
修験道山岳寺院である円通寺の伽藍(がらん)が岩殿山中腹の洞窟内に造られたそうです。
残念ながら現在は円通寺の社殿は残っていませんが、古絵図には正面に妻と見せた建築が前方の谷に出ており、上から滝が落ちて来る情景が描かれているそうです。
※伽藍(がらん)…語源はサンスクリット語「サンガーラーマ」で「僧があつまり仏道修行をする清らかで汚れのない静かな場所」という意味です。
岩殿山登山道入口から急な山道を登り5分ほどすると、不気味な洞窟が見えてきました。
寒さのせいで、洞窟の岩には氷が張っており“つらら”も見られました。
洞窟内から外を見ると岩が富士山の形に見えるそうですが、残念ながら現在は立ち入り禁止になっていました。
地元の伝説によると、赤鬼は始め、九鬼山(都留市では鬼退治の舞台として伝わる)に青鬼9匹と暮らしていましたが、やんちゃな性格と色の違いから、仲間はずれにあい、岩殿山に移り棲んだと言います。
盗んだものを隠していたという言い伝えもあるそうです。
一人ぼっちで、こんな洞窟に棲んでいたなんてちょっと可哀そうな気もしますね。
②鬼の血/子神神社
808年9月創建されました。
今は廃寺となった円通寺の鬼門(丑寅)に当たるため、国津神の首領でありネズミを神の使いとする大国主命(おおくにぬしのみこと)、別名・大己貴命(おおなむちのかみ)を祀ったそうです。
ネズミの神(干支で子と書く)であることから、子神神社(ねのかみじんじゃ)と名付けられました。
大国主命は、須佐之男命(スサノオノミコト)の子孫(息子)とされ、因幡(いなば)の白兎の昔話で有名な、皮を剥がれ海水に身体をつけて苦しんでいる白兎を助けた心優しき神様です。
このような小さい神社に、国作りを成し遂げ、出雲大社にも祀られている神様がいらっしゃるのですね。
明治維新までは岩殿山七社権現が岩殿村の産土(うぶすな)神(かみ)でしたが、明治より当村の産土神氏神(うじがみ)として崇敬を集め、明治29年1月社殿を改修し現在の姿に。
伝説では、境内の土の色が赤いのは赤鬼が桃太郎との戦いで逃げる時に、隣の徳嶽山へ逃げようと足をかけた時に股が裂けて流血し、その血がここの土を染めたと言われています。
残念なことに、出血多量で赤鬼は亡くなってしまったそうです…。
大月の桃太郎伝説の鬼は、桃太郎に退治されたのではなく、自滅だったのですね…。
③鬼の盃(さかずき)/手洗石
明治時代までは円通寺の観音堂や鐘楼があった場所であることと、その形状や刻字から、この石は手洗石だったそうです。
伝説では、岩殿山に住む鬼がこの石を使ったと言われています。
右の側面に「奉納天保十一年庚子(かのえね)年三月日若者」と刻まれています。
(天保11年は1840年。)
※手洗石(ちょうずいし、てあらいいし)とは※
水鉢、たらい石、水盤とも呼ばれている。
社寺に参詣するとき嗽(うがい)手水(ちょうず)に身を浄め、新しい気持ちになって尊前に向かう習慣は古くから行われており、江戸時代になると手水石は全国に広がり、鳥居と同様に手水石のない神社はないほど多く造られたそうです。
鬼の看板の絵は鬼が盃を持っています。
とても大きな盃。
お酒の好きな鬼だったようです。
盃の水は寒さで氷が張っていました。
山間にあり、冬場は特に冷える場所で鬼は寒くなかったのでしょうか。
※岩殿山七社権現※
伊豆権現、箱根権現、日光権現、白山権現、熊野権現、蔵王権現、山王権現のこと。16世紀頃の造像、すべてヒノキ材の一木造りで、像高の平均は200cm。
過去、岩殿山の中腹の岩窟の祠殿に祀られており、現在は子神神社近くの真蔵院に置かれています。
真蔵院(しんぞういん)は①で出て来た円通寺(鬼の岩屋にあった寺)の別堂でした。
七社権現を見たい場合は、真蔵院に予約をすれば拝観できるそうです。
④桃太郎地蔵
鬼の盃の隣には、現在は桃太郎地蔵の愛称が付けられたお地蔵さんがあります。
このお地蔵さんは、刻字から岩舟地蔵という「巡り地蔵」とのこと。
※岩舟地蔵…江戸時代に厄病や飢餓によって、あまりにも多くの子どもが亡くなることに心を痛め、子ども達の健全な生育を願って作られたお地蔵さんが、各地域の家庭を順番に廻し、数日間祀ってお参りする風習。
現在の栃木県栃木市岩舟町のお寺を出発したお地蔵さんが、各地で村送りされたものの一つとのことです。
桃太郎地蔵の左手には丸いおにぎりのようなものが。
左手に持つ宝珠が桃に見えることから、桃太郎地蔵と呼んでいるそうです。
⑤鬼の杖
鬼と言えば、金棒ですね。
こちらには、鬼の杖が残されています。
岩殿山へ鬼退治に向かった桃太郎が、犬目(上野原市)でイヌを、鳥沢でキジを、猿橋でサルを家来にし、「これから退治に行くぞ」と岩殿山の赤鬼に呼びかけました。
すると、怒った赤鬼が、岩殿山から石杖を投げつけたという。
その石杖が突き刺さった現場がこちらです。
以前は地上2mほどの高さでしたが、今では125cmほどの高さに。
真意のほどは定かではありませんが、重機が当たって折れてしまったとの情報も…それにしても、こんな石を投げられるなんて鬼の力はすごいですね!
木陰の窪地に隠れるように残されていました。
大月の木版画家、岩殿山研究家で鬼伝説にも詳しい和田定夫さんが描いた鬼の看板が微笑ましいです。
かわいい鬼の看板は、鬼の盃、子神神社にもあり、分かりやすい目印になっています。
⑥ももくら橋(百蔵橋)
葛野川(かずのがわ)にかかる、ごく普通の橋です。
今は車の通りのある橋ですが、昔はのどかな風景だったのでしょう。
橋の真ん中付近から上を眺めると、桃がどんぶらこと流れた葛野川、
桃が転げ落ちたという百蔵山(ももくらやま)、鬼が桃太郎から逃げる時にまたいだ徳嶽山、鬼が棲んでいた岩殿山が一望できます。
ももくら橋を通り過ぎ、百蔵山の中腹まで登って来ました。
百蔵山は、昔話では“桃倉山”と呼ばれ、おじいさんとおばあさんが棲んでいた山です。
向かって右側の高い方が百蔵山です。
大月周辺は、四方たくさんの小高い山に囲まれていて、どの山か特定するのがとても難しいです。
⑦猿橋
錦帯橋(きんたいきょう)、木曽の棧(かけはし)と並ぶ日本三奇橋のひとつ。
長さ31m、橋脚を使用せず、両岸から張り出した四層のはねぎにより支えられています。
伝説では、600年頃、朝鮮半島の百済(くだら)から来た造園博士、志羅呼(しらこ)が、沢山の猿がつながりあって対岸へ渡っていく姿にアイディアを得て橋を架けたそうです。
歌川広重の浮世絵にも描かれました。
1851年架替した時の工事帳を参考に復元され、2023.1月現在工事中です。
JR中央線の普通列車に揺られ、犬目(上野原)、鳥沢の自然豊かなのどかな景観を楽しむのもいいですね。
猿橋のすぐそばの敷地には中くらいの神社と、小さめの神社もありました。
神階の最高位である“正一位”が付いているのは、鎌倉時代の天皇、後鳥羽天皇が本社である伏見稲荷大社を訪れた際に、小さい分社でも正一位を名乗ることを許可したためだそうです。
日本全国に3万社ほど分霊があるそうです。
浮世絵の桃太郎に富士山が描かれている
次は昔話の絵についてです。
浮世絵の祖である菱川師宣の弟子、菱川春宣が明治23年に描いた桃太郎の絵が江戸東京博物館に所蔵されており、富士山が描かれています。
絵の角度から見ると、大月から見た富士山だと思われます。
また、昭和初期に齋藤五百枝(講談社)によって書かれた桃太郎の昔話にも富士山の絵が菱川春宜の絵と同じ角度で描かれています。
この写真は、2023年現在の大月から見た富士山です。
様々な桃太郎の昔話の本がありますが、描かれている富士山がこの写真のような姿かたち、角度も同じなのです。
猿橋の名物
大正時代の猿橋名物は「桃太郎もち」だったそうです。
現在確認ができている中で、桃太郎をモチーフにした最古の商品であるとも言われています。
包装紙には、桃太郎と家来の猿、鳥、犬が描かれていたそうです。
大正15年創業の猿橋近くにある「桂川館ホテル」が販売していました。
現在は、桃太郎もちは売っておらず、どんなお餅だったか覚えている人もいないと、観光協会の方が教えてくれました。
山梨の郷土土産として知られる「信玄もち」のように、「桃太郎もち」も受け継がれ、今でも手に入ったら良かったのにな、と思います。
もし「桃太郎もち」が今でも販売されていたら、大月の桃太郎伝説がもっと知られていたかもしれませんよね。
「桃太郎もち」の代わりに、「猿っきー」という猿の顔の形をしたクッキーや、
「鬼の杖のビスコッティ」が売られていましたよ。
かわいらしい赤鬼、緑鬼のビスコッティ、猿橋さるッキー、地元で採れた野菜などが大月駅隣り大月市観光協会にありました。
犬、鳥、猿のつく地名がある
♪おこしにつけた きびだんご~
ひとつわたしにくださいな…
と、犬目で犬を、鳥沢で鳥を、猿橋で猿にきびだんごをあげ家来にし、いざ鬼の棲む岩殿山へ向かって行きました。
桃太郎が家来をスカウトした場所の地名が甲州街道沿いに現在でも残っています。
*甲州街道*
下諏訪---甲府---初狩---猿橋---鳥沢---犬目(上野原)---八王子---日本橋
江戸と甲府城を結ぶ約200㎞に及ぶ街道は、5街道のひとつとして重要な流通網として、東京、山梨、長野を結んでいました。
街道沿いには44ほどの宿場(宿駅)があったそうです。
JR中央線の駅名としても、家来3人の名前が残されていますね。
モモタローソン
国道20号沿いに、一昨年3月オープンしたばかりの“モモタローソン”。
桃太郎と仲間たちのイラストの入った店舗がピンクでとても目立ちます。
“きびだんご”など桃太郎関連のお土産も販売していましたよ。
店内には愛嬌ある鬼、桃太郎と仲間たちのイラストが可愛いです。
さいごに
大月の桃太郎伝説は、どうでしたか?
山の中腹にある田舎道をたどっていると、山の中から本当に鬼が出てきそうな雰囲気でした。
桃太郎、そして愛嬌ある鬼のことが親しみをもって語り継がれているような気がしました。
1997年、桃太郎愛好家による桃太郎サミットが設立され、2021年10月には“第18回桃太郎サミット in 大月“が開催されたそうです。
桃太郎伝説を持つ各地の団体が集い仲良く桃太郎について学んでいるなんて素敵ですね。
大月市駅前の大月観光協会には、桃太郎伝説コースマップがおいてあり、係の方から桃太郎について話を聞くことも出来ますよ。
☆桃太郎伝説を巡るコースマップ(PDF版で見られます)
▪大月駅までのアクセス▪
電車:JR中央新宿駅(中央線)より 特急1時間、普通列車1時間半
:甲府駅より 特急30分、普通列車1時間
車 :東京方面より中央自動車道で約1時間
▪桃太郎伝説(徒歩コース)
大月駅---(60分)---鬼の岩屋---(約18分)---鬼の血---(約5分)---
鬼の盃&桃太郎地蔵---(約15分)---鬼の杖---(約15分)---ももくら橋---
(約20分)---猿橋---(約30分)---猿橋駅
大月駅より徒歩で桃太郎伝説コースを巡り、猿橋まで行くのが人気だそうです。大月駅から路線バスで鬼の岩屋まで行き、岩屋から猿橋まで歩くコースもあります。
鬼の岩屋から岩殿山は気軽なトレッキングコースとしても人気ですよ。
私は車で回りましたが、歩きコースの方がゆっくり散策出来ると思いました。
途中、岩殿山への登山者、桃太郎伝説を巡る人を見かけました。
大月の近隣にはウェルネスパークという自然豊かな広い公園、山梨県立リニア見学センターなど他にも楽しめる場所がたくさんありますよ。
大月の鬼の軌跡をたどる間に、鬼のパワーをもらえた気がしました。
ぜひ、大月のやんちゃでお酒好きな?赤鬼の足跡をたどりに来てみて下さい!