
マルハナバチ
『鬼の出る寺、元興寺(奈良県奈良市)』
こんにちは、マルハナバチと申します。
もうすぐ節分!
季節の境目に沸いてくるという鬼を豆まきで祓い、春を迎える準備をする行事、それが節分です。
全国でも節分会が予定されている神社仏閣は多いでしょう。
そこで今回は、鬼にゆかりのあるお寺をご紹介します。
鬼の出る寺、元興寺
日本霊異記、正式名『日本国現報善悪霊異記』をご存じでしょうか。
奈良時代の薬師寺の僧、景戒が書いた説話集です。
僧の書いた説話集ですから、善行は報われ悪行は罰されるという話、また仏法や信仰の力を賛美する話が収録され、怪異が登場する話も多くみられます。
その中に、あるお寺に鬼が出没し、雷神に縁のある人物が鬼退治をする、という物語があります。
そのお寺こそ、今回ご紹介する奈良県奈良市の元興寺です。
まずは、そのお話をかいつまんでご紹介。
むかし敏達天皇の世のころ、尾張国愛知郡にひとりの農夫がおりました。
野良仕事中、木の下で雨宿りしていると雷が鳴り響き、農夫は驚いて金属の棒を振りかざしました。
すると、天から雷神が落ちてきてあっという間に子供の姿になりました。
驚いた農夫は、雷神をその棒で打とうとしましたが、雷神が『助けてくれ。お礼に子供を授けるから』と命乞いをしたので助けてやります。
そして約束通りに夫婦に子供が生まれ、その子供は雷神の申し子ともいうべきたいへんな力自慢に育ちました。
その子は奈良の元興寺に童子として入ります。いわゆるお寺の小僧さんですね。
そのころ元興寺では、鐘楼で夜ごとに人が死ぬという事件が起きていました。
雷神の子は、『この災いを止めてみせます』と僧たちに言い、鐘楼の戸の陰に隠れて夜を待ちます。
寅の刻になって鬼が現れると、寺の仲間は逃げ惑うばかりですが、雷神の子は自慢の拳でむんずと鬼の髪をつかみ、逃げようとする鬼を引っ張り、夜明けまで引きずり回したといいます。
その怪力に、ついに鬼は頭の皮を剥がれて逃げ、点々と血のあとを残していきました。
それを辿ってみれば、行き着いたのはある辻。
寺の下働きの男が罪を犯したために、刑罰として生き埋めにされた場所だったのです。
男は死してのちも寺を恨み、霊鬼となり辻より這い出て夜毎に寺の者たちを襲っていたのでした。
こうして鬼を退治した雷神の申し子は、その後も元興寺で活躍し、得度して道場法師という名前を頂きましたとさ。
(日本霊異記上巻 第三『いかづちのむがしびを得て、生ましめし子の強力ありし縁』より要約)
この鬼は、鳥山石燕の「画図百鬼夜行」をはじめ多くの妖怪絵巻に、頭巾のようなものを被ったおどろおどろしい姿で描かれています。
面白いのは、その鬼の名前です。
日本霊異記では名前はいっさい出てきませんが、『元興寺の鬼』の話が広まるにつれ、鬼の呼び名が『がんごうじ』と略され、そこから『がごじ』『がごぜ』などと転じてゆき、やがてそれは鬼の別名であったり、鬼のまねをして子供をおどかすことまでも指すようになっていったというのです。
まさかお寺の名前がそのような使われ方になってしまうなんて、まさにお釈迦様でも思うまい、と言ったら怒られるでしょうか。
(余談ですが、iPhoneやMacbookでは『がごぜ』と打つとちゃんと『元興寺』と変換されます。ちょっと感動!ぜひお試しあれ)
がごぜに会いに古都奈良へ
いざ、元興寺へ。その前に基本知識を押さえましょう。
◆元興寺の基本データ◆
所在地:奈良県奈良市中院町11
アクセス:近鉄奈良駅より徒歩約15分 JR奈良駅より徒歩約20分
拝観時間:9:00~17:00
拝観料:大人500円(秋季特別展期間中600円)中学生・高校生300円 小学生100円
◆元興寺の基本知識◆
元興寺は、蘇我馬子が飛鳥の地に建てた日本最初の寺院である法興寺が、平城京遷都に伴い718年に移管された寺院です。
当時は東大寺や興福寺と並ぶ大寺院で、その境内は現在のならまち(奈良町都市景観形成地区)の大部分を占めるほど大きかったとのこと。
しかし長い歴史のなかで繁栄と衰退を繰り返すうち、建物の大部分は失われてゆき、現在残っているのは中院町の元興寺(極楽堂・禅室)と、芝新屋町の元興寺(塔院跡)、西新屋町の小塔院のみとなっています。
現在いわゆる元興寺と呼ばれているのは、中院町の元興寺です。
では、近鉄奈良駅2番出口から、味のあるアーケード街を抜けて住宅地に入り、世界遺産のお寺があるとは思えないような細い路地へと進みましょう。
そのつきあたりに静かに佇んでいるのが、元興寺です。
受付では「本堂を出て、石碑の前で振り返ってくださいね!飛鳥時代の瓦が残っているのが見られますから」と図を指さしながら教えてくださいます。
さて、東門をくぐると、いよいよ境内。
訪れたのはとても寒い朝だったこともあり、極楽堂は人がとても少なく、時折吹く風に、堂の正面に吊るされた鉦が五色の旛に打たれてかすかに響くのみ。境内はなんともいえない静謐に満ちていました。
驚きの、元興寺のご本尊
参りしてから靴を脱ぎ、極楽堂を見学。靴をぬぎ畳の上にあがると、堂内の真ん中に柱がある造りになっており、正面にご本尊があります。
さてそのご本尊、なんと仏像ではなく、曼荼羅図!
智光曼荼羅。奈良時代の終わりごろ、三論宗の僧、智光が夢の中で感得したという極楽浄土のようすを描いたもので、当麻曼荼羅、清海曼荼羅とならぶ浄土三曼荼羅のひとつです。
元興寺のHPによれば、正本の智光曼荼羅は、宝徳3年(1451)の土一揆により焼失してしまったとのことで、それを受け、2代目の智光曼荼羅図の制作がなされ、明応7年(1497)に完成したということです。
厨子に納められた曼荼羅は永い歳月に色褪せていますが、当時はきっと色彩もきらびやかに極楽浄土の様子が描かれていたことでしょう。
柱の四面にはほかにも曼荼羅図が掛けられており、それぞれの前に正座してしばし眺めました。
堂内は写真撮影禁止なので、その素晴らしさはぜひご自身の目で確かめてください!
他にもたくさん!元興寺の見どころ
東大寺や興福寺と並ぶ1300年もの長い歴史をもつ元興寺ですから、極楽堂の他にも見るべきものはたくさん!
その中でも私がおすすめしたい見どころを順路に沿ってご紹介します。
・旧講堂基礎石
元興寺の講堂、鐘楼、金堂は、智光曼荼羅の正本とともに土一揆による焼き討ちで焼失し、その後埋め立てられてしまった基礎石が発見され、境内に展示されています。
・飛鳥時代の瓦
受付で教えて頂いたとおり、極楽院の石碑のあたりまで進みましょう。
ちゃんと『日本最古の瓦眺め所』の案内があるので、そこで振り返ると…
蘇我馬子が建てた、元興寺の前身である法興寺の瓦が再利用され、1300年の時を経て、今日も元興寺の屋根を守っています。
ある日、空海が智光曼荼羅を拝んでいると、春日大明神が影向(ようごう)されたことに気づき、春日曼荼羅を描いて、勧請(かんじょう)しました。
そして、空海自らの影(姿)を彫りその像も、その部屋にとどめました。
こうして、その部屋のことを、影向間(ようごうのま)と呼ぶようになりました。”
(元興寺公式HPより)
影向桜は、その影向間の外側に植えられています。(飛鳥時代の瓦と一緒に映っているのが影向桜です)
写真は、北西から眺めたもの。こちらには四季桜と思われる桜がちらちらと花をつけています。
・かえる石
受秀吉が河原にあったこの石を気に入って大阪城に持ち込んだものだそう。淀君をこの石の下に埋葬したと伝えられていますが、いろいろと曰くつきで徐々に不吉なものとして扱われるようになったようです。
そのせいなのか、いつしかこの元興寺に持ち込まれたとのこと。
現在は『無事かえる』という祈願を背負い、平和に鎮座しています。
・万葉歌碑
『白珠は 人に知らえず知らずともよし
知らずとも 吾し知れらば 知らずともよし』(万葉集巻第6‐1018)
五七五七七ではなく、五七七五七七。旋頭歌と呼ばれる形式なのだそう。
『真珠は、人に価値を知られることはない。そして知られなくてもいいのだ。人が知らなくとも、自分が知っていればそれでよいのだ』というような意味になります。
題詞に『元興寺の僧が自ら嘆く歌』とあるので、自分を真珠にたとえて『俺の価値を誰も知らない。でもいいんだ。俺の価値は俺が知っている、それでよいさ』といった感じでしょうか。
孤高の人のようでいて、なんだか負け惜しみのようでもあり、非常に人間味を感じる歌ですね。
・やっと出会えた!元興寺の鬼
これで、足早ではありますがひととおり順路を歩き、受付へと戻ってきました。
元興寺1300年の歴史は奈良というまちとともにあり、たしかに素晴らしいお寺です。
しかしちょっと物足りないのは、今回のテーマである鬼、がごぜに出会えなかったこと!
境内のなかでは、がごぜに関するものは出てきませんでした。
やはり鬼が出た話というのは、元興寺にとっては不名誉なことなのだろうか…などと考えながらも、お寺巡りで楽しみな時間の一つ、御朱印やお守り購入タイムです。
まず御朱印(300円)は欠かせない!
やっと、やっと会えました!
表記は元興神となっていますが、鬼を転じて神と表記しているのでしょう。
絵馬の説明には『妖怪画家 逢香女史』とあります。
逢香氏は奈良出身の女性書家。自ら妖怪画家を名乗り墨絵や水墨画などで妖怪たちの姿を描いている方とのことで、元興寺のご住職の依頼でがごぜの掛け軸を奉納されたこともあるそう。
逢香氏描く、妖怪らしさの中にどこか愛嬌のあるがごぜの絵、とても素敵です!
そして裏は、虎に跨り雷鼓を背負った雷小僧。これはがごぜを退治した雷神の申し子、道場法師の童子姿ですね。
そう、がごぜは現代も元興寺にしっかりと存在していました。
これでこそ、奈良を訪れた甲斐があったというものです。
まとめです
今回は鬼にゆかりのあるお寺として、元興寺をご紹介しました。
元興寺の絵馬は、毎年節分会の時にその年の干支の絵馬が出るとのこと。
今年も2月3日の節分会に、柴燈大護摩供や火渡り秘供が行われます(残念ながらコロナ対策のため豆まきと福豆渡しは中止)。
元興寺は東大寺、興福寺ともとても近いので、皆さんもぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
がごぜの話を知っているのと知らないのとでは、まったく印象が変わってくると思いますよ!