
行ってみてわかった国泰寺

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こんにちは。暑い日々が続く今日この頃、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
冷房の風が苦手なので、夜は部屋の窓を全開にして寝ている竿竹松五郎です。
今回は、富山県高岡市にある臨済宗のお寺「国泰寺派国泰寺(こくたいじはこくたいじ)」へ初めて訪問しました。
「国泰寺(こくたいじ)」は北陸路には珍しい臨済宗の道場で、臨済宗国泰寺派の大本山です。臨済宗にも14もの宗派があって、国泰寺派は北陸で唯一の臨済宗の宗派です。
1296年(永仁4年)に慈雲妙意(じうんみょうい)というお坊さんが開いたお寺で、当初は「東松寺」というお寺でした。1327年(嘉暦2)になって、慈雲妙意が後醍醐天皇から紫衣(しえ)を賜り、翌年の1328年に「国泰寺」と改めました。
また、徳川幕府との関係も深く、国泰寺の住職が将軍に挨拶できるほど格式の高いお寺でもありました。三代将軍家光をはじめとする歴代の将軍の位牌が安置されています。
徳川幕府との縁が深かったためかどうかはわかりませんが、近年、新選組局長として知られる近藤勇の甲冑が寺で見つかったとして話題になりました。新選組とは縁遠いはずですが、専門家の話では、「かつて逆賊とされた近藤をひそかに供養するためだったのではないか」ということです。そういった興味深い逸話や歴史的遺物が残されているお寺でもあります。
国泰寺は禅宗の修行道場として多くの参拝者や修行僧が集い、座禅修行を行っています。
また、6月の始め頃には慈雲妙意禅師を偲んで「国泰寺開山忌」が行われます。全国各地から50人もの虚無僧が集まり、尺八を吹きながら境内を練り歩く「塔散(とうさん)」が一番の見どころ。今回は残念ながら時期が合わず、その様子を撮影することはできませんでしたが、機会があれば見てみたいですね。
見どころの一つは昭和の中頃に造られた庭園「龍淵池」です。「つくばい」は「永源寺石」とよばれる石。滋賀県永源寺のダム工事の際に川の底から出された川石だそうです。
ちなみに永源寺は永源寺派臨済宗の大本山。同じ臨済宗という間柄で不思議な縁を感じます。意図的にそうしたのかは不明ですが、永源寺石は京都の庭園にも使われているほど良質な石のようです。
国泰寺は山の中にあるお寺で緑が豊かだし、総門や日本庭園も美しくて素晴らしいです。
しかし、実際に訪れてみると、少し残念なところも少なくありませんでした。
そこで今回は国泰寺のいいところに加えて、「もうちょっとここを改善した方がいいな」というところをピックアップしていきたいと思います。
「国泰寺」の良い点その1
観光客が比較的少なく、自然が豊かで過ごしやすい。
わたしが参拝したときは土曜日。当日は道場の屋根の修復工事をやっていて、業者が出入りしていましたので、若干騒がしくはありました。しかし、普段は鳥や木々のざわめきだけが聞こえるような静かな場所です。休日でも参拝客はまばらですし、ゆっくりと落ち着いた時間を過ごせると思います。
また、バス停からお寺へと続く道すがらに広大な竹林が広がっており、秋にはタケノコ狩りも楽しめます。お寺を参拝後にお土産としてタケノコを持ってかえる、というプランもいいですね。
「国泰寺」の良い点その2
参拝は無料で、広大な境内を気軽に参拝できる。
写真映えする総門をくぐると、案内看板があり、向かって左に大きくて立派な山門や道場などがあります。法堂の裏手には開山堂や、利生塔、天王殿などがあります。
境内は広大です。なにぶん山の中に建てられたお寺なので、厳かな雰囲気が漂っています。開山堂や、利生塔、天王殿へは山道が続き、各所をめぐるのはたいへんかもしれませんね。歩き回らないといけないので訪れる際は履きなれたスニーカー必須ですね。(わたしは道がよくわからなかったので開山堂や、利生塔、天王殿へは行けませんでした。Youtubeにいくつか国泰寺に関する動画がありますので、参拝前に参考にすると良いと思います)
わたしは法堂からみる「月泉庭」の景色が好きです。昭和の中頃に京都の造園家「小川寿一」によって造られた名庭です。中央にある巨石は約42トンもあり、庭園の石としては日本一ともいわれています。
国泰寺の少し残念なところ その1
バス停からの距離が遠い。
バスで来られる方は注意が必要です。今回、わたしはバスを利用しましたが、思いのほか歩きます。徒歩15分ほどです。サンダルより履きなれた靴で参拝するのが良いでしょう。バス停からお寺までの案内看板はほとんどありませんが、ひたすら道なりに進むだけなのでまず迷うことはないと思います。しかしながら、道中「こっちであってるか」不安になってしまいました。
わたしは結構な方向音痴でしたが、ナビを使わなくても迷わずお寺にたどり着くことができました。ですが、道中もう少し案内看板があってもよかったかなと個人的には思います。
土地勘もないところで、ひたすら住宅街や竹林が広がる道を進まなければいけないので、初見だと精神的に辛いかもしれません。
国泰寺の少し残念なところ その2
外のトイレが使えない。トイレの場所が明記されていない。
わたしが見た限りでは外にトイレはありませんでした。案内図にはトイレの場所が明記されていません。
散策中にトイレらしき建物を発見しましたが、修繕中なのか「使用禁止」になっていました。
わたしは受付のお坊さんにことわって道場内のトイレを借りました。(他の参拝者の方も同じようにトイレを貸してもらっていました)
トイレの場所を教えてくれるような案内看板はどこにも見当たりません。
そこで参拝者の皆さんは受付に出向いて、トイレを借りるしかないのです。
わたしが境内を歩いていると初老の男性から声をかけられました。
「すみません。トイレはどこでしょうか?」
わたしはちょうど道場のトイレを貸していただいたあとだったので、その男性を受付まで案内しました。
きっと、こういうことが日常茶飯事なのだと思います。トイレがなくて右往左往する参拝者の姿が目に浮かびます。
トイレの周りは木製で木のぬくもりが感じられ、比較的きれいに保たれていました。個人的にお寺のトイレは清潔に保たれている印象があります。トイレは「心の鏡」と言われるくらいですから、清潔にしようとする気概が感じられて気持ちがいいです。しかし、男女兼用と思われ、洗面所に鏡がなく、和式便器のみです。女性にとってはちょっと残念なトイレかもしれません。
トイレの度に、お坊さんにことわって道場内のトイレを借りるのは、なんだか申し訳ないので、外のトイレが使えるようになるといいですね。
まとめ
今回は国泰寺のいい点に加え、少し残念なところを紹介しました。
国泰寺は主に修行僧の「修行の場」ですので、参拝「客」として訪問するのはもしかするとおこがましいことなのかもしれません。近年では修行僧になろうとする後継者が少なく、お寺を管理するのも大変だと聞きます。お寺を修繕したくてもできない多くの事情を抱えていることを知りました。
参拝料のみでお寺の経営をまかなっているところもあるといいます。その中で国泰寺は無料で参拝できるというのは大変ありがたい事だと思います。
お寺を参拝するにあたって、思いやりや、物を大切にする心を大切にしないといけないなぁ、とより一層思うようになりました。(そしてトイレも大切です)
わたしたちの行いがお寺の存続にも関わってくるのかもしれませんね。今回、国泰寺に赴いて、身が引き締まる思いになりました。
余談ですが、わたしは国泰寺に訪れたあと、高岡駅に帰ろうとバスに乗り込みました。しかし、そのバスは高岡駅には向かわず、高岡駅とはあさっての方向へ向かってしまったのです。途中で気が付いて慌ててバスを降りました。まったくしらない小さな漁村にたった一人。スマホの充電は切れ、しかも次のバスが来るのは一時間も後…
こんなことならバスの運転手さんに行先を確かめておくべきだった…
普段、バスをのらない身&めんどくさがりな性格が仇となりました。
わたしはただ沈む夕陽を眺め、呆然と立ち尽くすしかありませんでした。
そんな時、「回送中」のバスがバス停に止まりました。先ほどのバスが終点から引き返してきたのです。バスの運転手さんはわたしを不憫に思ったのか、バスの営業所まで送ってくれるというのです。そのご厚意にわたしは涙がでそうになりました。
バスの運転手さん本当にありがとうございました。
最近暑い日が続きますね。みなさんは夏休みにどこかへ行く予定はありますか?クーラーの効いた部屋でゴロゴロもいいですが、たまにはお寺や神社を散歩するのもいいかもしれませんよ。
こんにちは、竿竹松五郎です。
今回は、富山県高岡市にある臨済宗のお寺「国泰寺派国泰寺(こくたいじはこくたいじ)」へ初めて訪問しました。
このお寺を聞いたことあるよって人や知っている人はおそらく少ないと思います。わたしは同じ北陸に住んでいますが、まったく知らないお寺でした。
まったく知らないお寺を巡るのは結構楽しいものですよ。意外な歴史上の有名人と縁のあるお寺だったり、歴史的大事件の舞台になったお寺だったり。行ってみないとわからないことがたくさんあります。なにげなく立ち寄ったお寺がお気に入りの場所になったりしたら素敵ですよね。
「国泰寺(こくたいじ)」は北陸では珍しい「臨済宗(りんざいしゅう)」の道場で、臨済宗国泰寺派の大本山です。臨済宗にも14の宗派があって、国泰寺派は北陸で唯一の臨済宗の宗派となっています。
1296年(永仁4年)に慈雲妙意(じうんみょうい)というお坊さんが開いたお寺で、はじめは「東松寺」というお寺でした。1327年(嘉暦2)になって、慈雲妙意が後醍醐天皇から紫衣(しえ)という紫色の着物をいただき、翌年の1328年に「国泰寺」と名前が改められました。
また、徳川幕府との関係も深く、将軍に挨拶できるほど国泰寺の住職は偉かったのです。今でも三代将軍家光をはじめとする歴代の将軍の位牌が大切にお寺におさめられています。
徳川幕府との縁が深かったためかどうかはわかりませんが、近年、新選組局長として有名な近藤勇の甲冑が寺で見つかりました。新選組と富山・国泰寺は全く関係がないように思えるのですが、専門家の話では、「かつて逆賊とされた近藤をひそかに供養するためだったのではないか」ということです。どうして国泰寺なのか。誰がどういう経緯でこのお寺に持ち込んだものかはわかりません。不思議ですよね。
そういった興味深い逸話や歴史的遺物が残されているお寺でもあります。
今でも禅宗の修行道場として多くの参拝者や修行僧が集まって、座禅修行を行っています。
また、6月の始め頃には慈雲妙意禅師を偲んで「国泰寺開山忌」が行われます。全国各地から50人くらいの虚無僧が集まります。よく時代劇などでみる大きな編み笠を被ったお坊さんですね。その虚無僧たちが尺八を吹きながら境内を練り歩く「塔散(とうさん)」がこの開山忌の一番の見どころです。今回は残念ながら時期が合わず、その様子を撮影することはできませんでしたが、機会があれば見てみたいですね。
見どころの一つは昭和の中頃に京都の造園家・小川寿一さんという方が造った庭園「龍淵池」です。「つくばい」は「永源寺石」とよばれる石でつくられています。なんでも、滋賀県・永源寺のダム工事の際に川の底から出された川石だそうです。
ちなみに永源寺は永源寺派臨済宗の大本山です。同じ臨済宗という間柄で不思議な縁を感じますよね。庭を作った小川寿一さんがそういうことを考えて、永源寺石を使ったのかは不明ですが、永源寺石は京都の庭園にも使われているほど良質な石のようです。
国泰寺は山の中にあるお寺で緑が豊かだし、総門や日本庭園も美しくて素晴らしいです。
しかし、実際に訪れてみると、少し残念なところをいくつか見つけました。
そこで今回は国泰寺のいいところに加えて、「もうちょっとここを改善した方がいいな」というところをピックアップしていきたいと思います。
「国泰寺」の良い点その1
観光客がわりと少なく、自然が豊かで過ごしやすい。
わたしが参拝したときは土曜日。当日は道場の屋根の修復工事をやっていて、大工さんや瓦屋さんが出入りしていましたので、若干騒がしくはありました。しかし、普段は鳥や木々のざわめきだけが聞こえるような静かな場所です。休日でも参拝客はわりと少ないですし、ゆっくりと落ち着いた時間を過ごせると思います。
また、バス停からお寺へと続く途中に広大な竹林が広がっており、秋にはタケノコ狩りもできます。お寺を参拝した後にタケノコをお土産に…なんてこともできそうです。
「国泰寺」の良い点その2
参拝は無料で、広い境内を気軽に参拝できる。
写真映えする総門をくぐると、案内看板があり、向かって左に大きくて立派な山門や道場などがあります。法堂の裏手には開山堂や、利生塔、天王殿などがあります。
国泰寺は山の中にあってとても広いです。
開山堂や、利生塔、天王殿などの建物を巡るのにも山道を歩かなければなりません。
普段、歩きなれていない人は覚悟が必要です。歩き回らないといけないので訪れる際は履きなれたスニーカー必須ですね。(わたしは道がよくわからなかったので開山堂や、利生塔、天王殿へは行けませんでした。Youtubeに国泰寺の動画がいくつかあがっているので参拝前に予習しておくといいかもしれません。)
わたしは法堂からみる「月泉庭」の景色が好きです。枯山水とは水を使わずに石の組合せや地形の高低などによって山水を表現した庭園の事です。
この庭も昭和の中頃に京都の造園家・小川寿一さんによって造られた名庭です。中央にある巨石は約42トンもあり、庭園の石としては日本一ともいわれています。運ぶのも大変そうですよね。
国泰寺の少し残念なところ その1
バス停からの距離が遠い。
バスで来られる方は注意が必要です。今回、わたしはバスを利用しましたが、結構歩きます。徒歩15分ほどです。サンダルより履きなれた靴で参拝するのが良いでしょう。バス停からお寺までの案内看板はほとんどありませんが、ひたすらまっすぐ道なりに進むだけなのでまず迷うことはないと思います。しかし、行く途中で何度も「こっちであってるかな?」と不安になってしまいました。
わたしは結構な方向音痴ですが、ナビを使わなくても迷わずお寺にたどり着くことができました。ですが、道中もう少し案内看板があってもよかったかなと個人的には思います。
まったくしらない場所で、住宅街や竹林が広がる道を歩かなければいけないので、初めて訪れる人だとわたしのように不安になるかもしれません。
国泰寺の少し残念なところ その2
外のトイレが使えない。トイレの場所が明記されていない。
わたしが探した限りでは外にトイレはありませんでした。案内図にもトイレの場所がどこにも書いてありません。散策中にトイレらしき建物を発見しましたが、故障中なのか「使用禁止」になっていました。
わたしは受付のお坊さんに「トイレを貸してもらえませんか」とことわって道場内のトイレを借りました。(他の参拝者の方も同じようにトイレを貸してもらっていました)
トイレの場所を教えてくれるような案内看板はどこにも見当たりません。
そこで参拝者の皆さんは受付に出向いて、トイレを借りるしかないのです。
わたしが境内を歩いていると初老の男性から声をかけられました。
「すみません。トイレはどこでしょうか?」
わたしはちょうど道場のトイレを貸していただいたあとだったので、その男性を受付まで案内しました。
きっと、こういうことが日常茶飯事なのだと思います。トイレがなくて右往左往する参拝者の姿が目に浮かびます。
トイレの周りは木製で木のぬくもりが感じられ、比較的きれいに保たれていました。わたしはいくつかのお寺を巡ってきましたが、どのお寺もトイレはきれいに保たれているなぁと思います。トイレは「心の鏡」と言われるくらいですから、清潔にしようとする思いが感じられて気持ちがいいです。参拝者の方もきっときれいに使ってくれるマナーのいい人が多いのでしょうね。しかし、男女兼用で洗面所に鏡がなく、和式便器のみです。女性にとってはちょっと残念なトイレかもしれません。
まとめ
今回は国泰寺のいい点と少し残念なところを紹介しました。
国泰寺はあくまで修行僧の「修行の場」ですから、観光にはあまり力をいれていないのかもしれません。最近は、お坊さんになろうとする人が少なくて、お寺を管理するのも大変だと聞きます。お寺は多くの問題を抱えています。人手不足だったり、お金が不足していたり…多くの事情を抱えています。参拝料のみでお寺の経営をまかなっているところもあるといいます。その中で国泰寺は無料で参拝できるというのは大変ありがたい事だと思います。
お寺を訪問するときには普段よりも、思いやりや、物を大切にする心をもって静かに参拝しましょう。
お寺を訪れて、お寺に少しでも興味がわいて、お寺を守るためになにができるかを見つけていけたらいいですね。
みなさんも是非、国泰寺を参拝してみてください。きっとあらたな発見があると思います。
そして良い思い出にしましょう。
余談ですが、わたしは国泰寺に訪れたあと、高岡駅に帰ろうとバスに乗り込みました。しかし、そのバスは高岡駅には向かわず、高岡駅とはまったく違う場所へ向かってしまったのです。途中で気が付いて慌ててバスを降りました。まったくしらない小さな漁村にたった一人。スマホの充電は切れ、しかも次のバスが来るのは一時間も後…
こんなことならバスの運転手さんに行先を確かめておくべきだった…
普段、バスをのらない身&めんどくさがりな性格のせいでこんなことに…
わたしはただ沈む夕陽をただボーっとながめるしかありませんでした。
そんな時、「回送中」のバスがバス停に止まりました。先ほどのバスが終点から引き返してきたのです。バスの運転手さんはわたしを不憫に思ったのか、バスの営業所まで送ってくれるというのです。そのご厚意にわたしは涙がでそうになりました。
バスの運転手さん本当にありがとうございました。