
髪結いが尼僧になった話

突然ですが、皆さんは、ご自身のルーツについてご存じでしょうか。
老舗の家系の方や、武士をご先祖に持つ方などでなければ、なかなか自分のルーツを知ることもないと思います。
かくいう私も、母方の実家がお寺という少しレアな家であるものの、両親は普通のサラリーマンであり、夏祭りや大晦日などのイベントのお手伝いに駆り出されるほかはお寺に関わることもあまりなく、そのお寺がどういった経緯で出来たのか、いつから始まったのか、つい最近までまったく知りませんでした。
この記事は、祖母に聞いた「母方の実家であるお寺のルーツ」をまとめたものです。
雑談ついでに何気なく訊ねてみたところ、祖母の口から出てきたのは、私が想像もつかなかった「ある髪結いの物語」でした。
時代は明治時代。
私の高祖母、ひいひいおばあちゃんの頃までさかのぼります。

髪結いをしていた高祖母
高祖母は、海に近い、かつての城下町で髪結いをしていました。
髪結いとは、今の美容師さんのことです。
もともとは男性がする仕事でしたが、江戸時代中頃から女性の髪形が複雑化するにつれ、女性も髪結いとして活躍するようになったのだとか。
お客さんは花街の芸妓さんなどが多く、芸妓さんというと歌や踊りの華やかなイメージが目立ちますが、実際は明るく楽しい話ばかりではなかったようです。
お客さんとの色恋沙汰。
芸妓さん同士のいさかい。
人間関係やお金のもめ事。
将来の不安や健康のこと。
高祖母はそんな芸妓さんたちの愚痴を聞くことが多かったそうです。
家には「髪結いの亭主」という言葉のとおりお酒の好きな夫と、5人の子ども達。
そして高祖母に髪を結ってもらいつつ愚痴を吐き出しにくる女性たちでいつも賑やかだったとのこと。
高祖母の髪結いの腕が良かったのか、それとも愚痴を聞くスキルが高かったのか、髪結いは大層繁盛したようです。
ですが、高祖母は娘たちを自分と同じ髪結いにすることはせず、東京の女学校に進学させました。
もしかしたら高祖母の夫(高祖父)は「髪結いの亭主(妻の働きで養われている夫)」状態ではなく、
本当はきちんとした仕事をしており、
それで娘たちを女学校に入れる甲斐性があったのかもしれません。
ただ、高祖父は「お酒が好きだった」という事しか伝わっておらず、どんな仕事をしていたのか今となっては確かめるすべがありません。
嫁いだ娘からの手紙
そんな娘たちのひとりが、東京で、ある男性に見初められ、結婚することになりました。
男性はとても立派な仕事に就いているらしく、全国を飛び回る状態。
その娘さんも、結婚するや否や、男性の転勤に合わせて、高祖母が住む地からかなり離れた場所に引っ越すこととなったそうです。
今でいう転勤族の妻、といったところでしょうか。
そんな「転勤族の妻の母親」である高祖母は、髪結いの仕事を続けながら、遠く離れた地に暮らす娘が元気にすごせるよう、お寺へのお参りを欠かさず行っていたそうです。
ある日、その娘さんから一通の手紙が届きました。
「夫から毎日責められている。家に置いておいたお金が無くなってしまい、それが私のせいだと言われている。
まったく身に覚えがないのに弁明することもできず、毎日、家中を探している。
お母さんもどうか、お金が見つかるよう祈っていてください」
無くなったお金の額がいくらだったのか、祖母から具体的な金額を聞いたのですが、現代の価値に換算するとかなりの金額でした。
(生々しいので金額は伏せさせていただきます)
大金を盗んで使い込んでしまったのではないか。
夫のあずかり知らぬところで贅沢をしているのではないか。
夫からそう疑われ、毎日、ひどい叱責を受けているとのこと。
手紙を受け取った高祖母は、お寺へのお参りをより一層熱心に行ったそうです。
近くに住んでいるなら、一緒に探してやることができるのに。
娘の無実を訴えることができるのに。
なんなら、お金をかき集めて用意して、娘の夫に叩きつけてやるのに。
それなのに娘が住む地は遥か遠く、
当時は交通も発達していなかったのでおいそれと出かけることもできない。
それに、当時は「女性は婚家のもの」という意識が強かったそうなので、高祖母は「自分がしゃしゃり出たらかえって娘に迷惑をかけてしまう」と思ったかもしれません。
せめて、せめて。
どうかお金が見つかりますように。
高祖母は、そんな気持ちで仏さまに手を合わせたのではないでしょうか。
絶望からの出家
祈り続けて約一年後。
高祖母のもとに、その娘さんの夫から、一通の手紙が届きました。
手紙には「娘さんが亡くなった」とだけ書かれてあったそうです。
どういう状況で亡くなったのか、
最期にどんな言葉を遺したのかも分からなかったそうです。
お金が見つかったのかどうかも、もちろん分からずじまい。
娘さんのものと思われる、髪が同封されていたそうです。
娘さんが結婚して、たった2年後の出来事でした。
高祖母はショックのあまり、髪結いの仕事が出来なくなったとのこと。
当時の高祖母の心境は想像するしかないのですが、
恐らく、
娘を女学校に入学させたことを悔やみ、
男性との結婚を認めたことを悔やみ、
娘から手紙を貰った時に、娘の元へ駆けつけなかったことを悔やみ、
だからと言ってその後悔を怒りに代えて娘の夫に訴えることもできず、
ただひたすら悔やんで仕方がなかったのではないでしょうか。
また、時を同じくして自分の夫(高祖父)も病で亡くし、
子ども達はすでに親元から離れており、高祖母は、生きがいと言うものをすっかり失ってしまいました。
その時の高祖母は、目に映る景色に色がついていることすら思い出せなかったかもしれません。
これからどうしたら良いのか。
髪結いを再び始めるか、それとも。
思い悩んだ末に高祖母がとった選択は、「出家すること」。

娘が嫁ぎ、遠くに引っ越してから、ずっと続けてきたお寺へのお参り。
そのお寺の住職が、打ちひしがれた高祖母を見るに見かねたのか、それとも、高祖母がその住職に直談判したのかは今となっては分かりませんが、
お参りを続けてきたお寺のご紹介で、高祖母は出家しました。
「髪結い」という職業です。
華美にはしていなかったでしょうけれど、自分の髪はある程度美しく整えていたでしょう。
綺麗な髪型を創る髪結いさんの髪がボサボサだったらイメージも良くないでしょうから、手入れも怠らなかったに違いありません。
その、いわば商売道具の一つともいえる「髪」をすっかり切り落として、
高祖母は尼さんになる修行を始めたのです。
その後、女性の駆け込み寺の住職に
その後、高祖母は無事に尼さんになることができ、
お世話になっていたお寺の住職さんの御厚意もあり、あるお寺の住職を任されることになりました。
いったん家を出ていた高祖母の息子(私の曽祖父)もそのお寺を手伝うようになり、やがて寺を継ぐこととなります。
以上が、私の母方の実家のルーツになります。
高祖母は、旦那さんの暴力に耐えきれず逃げてきた(今でいうDV)女性を匿ったり、旦那さんと死別して婚家にも実家にもいられなくなった女性をお寺に住み込ませたりするなど、
困っている女性を主に助けてきたそうです。
途方に暮れてお寺の戸を叩く女性たちに、遠い地で亡くなった娘さんの面影を重ねていたのでしょうか。
また、お寺は悩み相談に来る檀家さんでいつも賑わっていたそうで、
「髪の毛は剃ってしまったけど、やっていたことは髪結いの頃と変わらなかったのかもしれないね」
と、祖母が話していました。
高祖母が行ってきたこと
明治維新以降、日本は「君主制」「家父長制」を重視したことで男性中心の社会となり、
また、西洋から導入された「良妻賢母論」によって、男尊女卑がますます進んでしまったと言えます。
そんな男尊女卑社会の息苦しさやいびつさの犠牲になった女性たちを高祖母は救っていたのだと、祖母の話を聞いて知ることができました。
ただ、恐らくなのですが、高祖母の足跡は「この、おかしな社会を何とかしたい!」「女性の地位向上を!」などと理想を掲げてきたことによるものではなく、
ただ単に、「目の前の、困っている人」ひとりひとりと愚直に向き合った結果なのではと感じました。
ご縁があってお寺にやってきた方を、自分の娘のような悲しい目に遭わせたくないと思い、その時その時で出来ることを行ってきただけなのではないかな、と。
私たちが生きる現在、終戦からかなりの月日が経ち、かつてのような男尊女卑はほぼ無くなり、男女問わず自由な生き方を選択できるようになりました。
一方で、選択の幅が広がり、そして情報が溢れすぎているため、「何か大きな目標を掲げなきゃいけない」「立派なことをしなきゃいけない」「一番にならなきゃ」「お金を、数字を、もっと稼がなきゃ」などと焦ってしまい、自分がいったい何者なのか分からなくなってしまったことがある方も、少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
これは、私たち女性だけの話ではなく、男性にも言えることなんじゃないかなと思います。
現代を生きる私たちにとって、この、高祖母の「目の前のご縁を大切にする」生き方は一見まどろっこしくて非効率的なことのように思えます。
ただ、もしもこの「小さな一滴」がやがて大きなうねりとなって現実を変える力になるのだとしたら。
今回、「母方の実家のルーツ」そして「高祖母の生き方」を知り、
今までよりも少しだけでもいいから、目の前のご縁を大切にしよう、そんなことを思いました。
*
知っているようでいて、あんがい知らない「実家のルーツ」。
今回、祖母との何気ない会話をきっかけに、思いがけず知ることができました。
「うちの父母は普通のサラリーマンだから」という私のような家庭にお住いの方も、
改めて調べてみると、そこにはご先祖の壮大なドラマが潜んでいるかもしれません。
何かの折に、ご両親やご親戚の物知りな方などに、ご実家のルーツを訊ねられてみてはいかがでしょうか。

※写真はイメージであり、実際のものとは異なります。
※本質を損なわない程度のアレンジが加えられています。