2023年おすすめの神社・仏閣
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執筆者:マルハナバチ執筆者
マルハナバチ

令和の仏教のありかた、福厳寺(愛知県小牧市)

はじめに:大注目のお寺、福厳寺!

たくさんのイベントを控え、心浮き立つ12月。
寺社巡りが好きな人もそうでない人も、除夜の鐘を聞き初詣に行く。そんな季節となりました。
今年最後にご紹介するのは、私がいま一番注目しているお寺とそのご住職です。

福厳寺 鐘楼門
福厳寺 鐘楼門

愛知県小牧市、福厳寺。
540年の歴史をもつ、もとは曹洞宗のお寺です。
開創は1476年。時は応仁の乱の終わりごろ。開祖は盛禅洞奭(せいぜんどうしゃく)和尚。
当時の大草城城主の西尾式部道永が、名僧の誉れ高い盛禅和尚に弟子入りし建立したのが始まりだということです。昔からいわゆる観光名所として有名だった仏閣というわけではありません。地元の方々に長く愛され信仰を集めてきたお寺です。
福厳寺は、小牧市の東部、田園地帯が広がるのどかな町にあります。
写真は平日に訪れた際に撮ったもの。
駐車場から、大きな池のほとりの道を境内へと進むと、まず目を惹くのが立派な木組みの鐘楼門です。
風雨にさらされ色あせながらも端正な佇まいで、もともとは座禅を重んじる曹洞宗だというのも頷けます。
鐘楼門をくぐると姿を表す、福厳寺の本堂。
堂々たる瓦葺きの屋根は、銅瓦なのでしょうか。緑青の色が青空に美しく映えています。

でも、私が福厳寺に注目する理由は、建築の美しさや観光地としての面白さではありません。
私がこの福厳寺をおすすめする理由は、他にあります。

福厳寺の魅力①:日本初、佛心宗の寺院

福厳寺は、日本初の佛心宗(曹洞宗単立)のお寺です。
佛心宗?聞きなれない宗派だな、と思った方は大正解!
佛心宗は、現在の住職、大愚元勝和尚が興した新しい宗派なのです。
私がこのお寺に注目する理由。それは、福厳寺こそ日本の新たな形の仏教を模索し、生まれ変わっていこうとする現在の仏教界を牽引しているといって過言ではない存在だからです。
日本では、宗教離れが起きていると言われて久しいですね。これは正確には、寺院離れや神社離れと表現すべきかもしれません。檀家が減って経営が苦しいお寺が増え、廃寺から仏像が盗まれるなどの事件も起き、日本の仏教界全体に危機感が広がっています。

現在まで続いている日本の寺院の形態は、江戸時代に完成されました。
江戸時代初期から、幕府は寺院を通して民衆を管理しはじめます。
『民衆はすべていずれかの寺の檀家とならなければいけない』『葬祭は僧侶が行わなければいけない』と定めた寺請制度や『すべての寺は、いずれかの本山の傘下に属すること』とした本末制度。
その二つによって、各地の寺は、戸籍を作成し住民を管理する地元のまとめ役として、三百年もの長きにわたり大きな役割を果たしました。
仏教寺院は次第に、心の拠りどころとしてよりも、地域社会のインフラ的色彩が濃くなっていったのです。
しかしあまりに長く続いたその体制は、宗教組織としての柔軟性を失うという副作用をもたらしました。
明治時代になり、新政府が国家神道を保護し、仏教の力は弱まりました。神仏分離が進められ、それまで特権階級であった僧侶たちへの反発などから廃仏毀釈が起こり、各地の寺が大きな打撃を受けたのです。
それにも関わらず、仏教界には、檀家制度をはじめとする江戸時代さながらの体質が根強く残ったまま。
大正、昭和、平成、そして令和。
日本社会の枠組みや生活様式が激変する中、仏教寺院のありかたがどんどん硬直していったその結果、葬式仏教と呼ばれる形骸化した状態になり、だんだんと社会の現状に合わなくなってしまいました。
それが、日本人の宗教離れ、仏教離れの正体です。
この状況を打開するため、大愚和尚が曹洞宗から独立して立ち上げた新宗派。それが佛心宗なのです。

福厳寺
福厳寺

佛心宗は、慣習にとらわれずに人々の悩みに応えることを目的とし、檀家制ではなく会員制をとっています。
新宗派を興す、と言葉にするのは簡単ですが、これは現代においてはかなりの大変な作業です。
まず曹洞宗から脱退し、独自の宗派を掲げるということ。それは前住職をはじめご家族はもちろん、代々寺を支えてきた地元の檀家衆を説得し、納得させなければ実現しません。離れてしまった檀家さんもいたでしょう。また本山から離れるのは人脈や援助を失うというデメリットもあり、よほどの覚悟がなくてはできないことなのです。
しかしそれをやり遂げ、成功させているのはひとえに大愚和尚の情熱と手腕によるものでしょう。
福厳寺は、危機的状況にある仏教界を立て直す旗手といってもよい存在なのです。なんとも魅力的なお寺だと、そう思いませんか?

福厳寺の魅力②:行動する住職、大愚和尚

さて、そんな福厳寺を率いる大愚元勝和尚とは、どんな人なのでしょうか。
著書『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社)で、大愚和尚は過去を振り返り、父親である師匠の厳しさや堅苦しい伝統に反発し、僧侶にだけはなりなくないとずっと考えていた、と述べています。
そして、自立することを目指していくつもの事業を立ち上げましたが、経営がうまくいかず莫大な借金を抱えます。その時自分の心の支えとなったのは、小さいころから触れてきた仏教のおしえでした。
大愚和尚はそのことに気づき、仏教の知恵を生かして事業を立て直し、そののちお寺に戻る決心をします。そして42歳で福厳寺31代目住職となった時、佛心宗という新しい宗派を興しました。
そう、仏教のおしえそのものが古くなってしまい、人々が離れたわけではありません。
問題は形骸化した現代のお寺のありかたでした。
現代においても、人々の悩みは仏陀が悟りを開いた2500年前とあまり変わりはありません。
人間関係に苦労し、生きる理由に悩み、あるいは老いに、また病に苦しむ。
宗教離れと言われながらも、オカルトやスピリチュアルが流行し、パワースポットやパワーストーンという言葉もすっかり定着しています。昨今では、御朱印集めがブームになり、またコロナ禍でアマビエ伝説がもてはやされたのも記憶に新しいですね。
そこにあるのは、何かに救われたい、助けてほしい、という人々の切なる願い。
形骸化してしまった日本仏教の代わりに、心の救済を他に求める人々の姿です。
福厳寺の大愚和尚は、令和の寺院はいかにあるべきか、というこの問題に真向から取り組んでいます。
もちろん他のお寺も、ギターの調べにのせて読経ライブをしたり、バーでお坊さんが話を聞いてくれたりと、仏教に親しみを持ってもらうため工夫を凝らしているところも多くあります。
しかし、『人々の悩みに応える』という本来の役割に立ち返り、現代の仏教のありかたを正攻法で模索し、新宗派を興した大愚和尚のその真摯な姿勢に、私は心打たれるのです。

YouTubeの人生相談チャンネル『大愚和尚の一問一答』は、2022年12月現在、登録者数なんと56万人越え。
その数字が、仏教のおしえの力の健在と、寺院のありかたが変わっていくことの大切さを見事に実証しています。
また大愚和尚は、YouTubeだけでなく、内弟子道場やオンライン仏教講座を開設したり、Twitterでも仏教の知恵を発信するなどSNSを駆使し、日本の仏教寺院の復興モデルとして意欲的に活動を行っています。
まずは行動し伝えること。そのずば抜けた行動力とあたたかい人柄が、大愚和尚という人を現代仏教のアイコンに為さしめている所以です。

福厳寺の魅力③:体験!あきば大祭

福厳寺には、節分修正会、花まつり佛心大祭など一般参加できるお祭りもいろいろとあります。
年中行事でもいちばん注目のお祭りは、あきば大祭。
火防の霊験のある神仏習合の神様、秋葉三尺坊権現のお祭りです。秋葉三尺坊権現とは、実在の修験者三尺坊が生前の功徳により神格として崇められるようになったもの。修行により神通力を得て、天狗の姿になったと言い伝えられており、日本全国の寺社で火防の神様として親しまれてきました。
福厳寺のあきば大祭について、大愚和尚は前述の著書『苦しみの手放し方』において、こう述べています。

“この祭りは、『祈祷』と『火渡り』という2つの儀式を通して、火防の神として知られる秋葉三尺坊の大権現の遺徳をたたえ、『三毒を鎮める』ために行われます。
秋葉三尺坊大権現の遺徳とは、『2つの火』を制する力のことです。
ひとつは、火災を引き起こす物理的な火を制する力。もうひとつは、三毒と呼ばれる、愚かさ、欲、怒り、ねたみ、恨み、イライラといった『心の火』を制する力。“

あきば大祭は、実際の火と心を蝕む負の感情、その二つを制する力を養うために燃えさかる火を渡るというお祭りなのです。

福厳寺秋葉大祭
福厳寺秋葉大祭

2022年、今年のあきば大祭はさる12月3日に行われ、私も夫婦で初参加してきました。
人手を見越して臨時駐車場が用意されており、そこから3分ほど歩いて福厳寺に到着。
道に立つ大きな看板には、『福厳寺秋葉大祭』の文字がならび、秋葉三尺坊をあらわす天狗のトレードマーク、羽団扇の絵があしらわれています。
境内へ続く道にはクレープやからあげ、サンドイッチなど、地元のお店が出すキッチンカーが並び、なかには和尚の名にあやかって『大愚煮』というメニューまで!
テーブルとイスも並べられ、飲食やワークショップを楽しむ親子の姿も見られます。

福厳寺

気付いたのは、若いスタッフの方の多さ。
大愚和尚の活動に共感した佛心宗の会員の方たちでしょうか。
参加者も若い人が多く、福厳寺が経営する太陽幼稚園に通っている子たちもたくさん来ているようです。
火渡りを待つ列の最後尾につこうとすると、女性スタッフの方が私たちに話しかけてきました。
「こんにちは!どちらからいらっしゃいましたか?」
彼女が示しているのは、日本地図、世界地図が張られたボード。
「みなさん本当にいろんなところからいらしてるんです!」
と彼女はニコニコしながら誇らしげに話してくれました。
見ると、愛知県はもちろん、東京都、大阪も多くシールが貼られています。はるばるベトナムやイギリス、アメリカからも! 大愚和尚人気の高さを感じます。私たちもシールを貼り、列に並びます。

福厳寺

境内ではすでに大愚和尚の特別法話が始まっていました。
「…私たちの心には貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)という三つの火種が常に燻っています。…(中略)…お師匠さんはおっしゃいました。幸せに生きたいのであれば、怖れるべきものを怖れなさい。怖れるべきものとは何か。そのひとつが、まさに秋葉三尺坊が修めようとした火です…」
YouTubeと同じ、静かな、訥々とした口調で法話が続きます。
その語り口はわかりやすく、親しみやすいもの。しかし時折厳しい言葉も発されます。
佛心宗の宗旨は『慈悲心、知恵、仏性を育む』。
お寺はお釈迦様の知恵と慈悲心を人々に伝え、人々を安心に導くことを存在する、というのが大愚和尚の考え方です。

福厳寺

法話が終わり、松明を持った僧侶が境内を一巡して、ついに炎があがりました。
大愚和尚が読経され、錫杖を持って背よりも高い火の中を歩いていきます。火渡りの始まりです。
後に続くのは、法螺貝を吹き鳴らす若い山伏姿の僧侶たち。そして動き始める一般参加の人の長い列。
だんだん暗くなるなか、広い境内に灯されたたくさんの提灯のあかりが足元を照らし、なんともお祭りらしい雰囲気になってきました。コロナ禍でこうしたお祭りは久しぶりの私たち。このにぎやかさはとても懐かしく、楽しい気持ちにさせてくれます。

立派な鐘楼のはるか上には月も輝いていますが、同時に冷気が足元からのぼってきます。
境内に進むと、背の高い竹が何本も立てられ、縄が張られていました。
清浄な植物とされる竹を立て、しめ縄で囲い聖域を作り、そこに秋葉三尺坊大権現を勧請するのです。
竹とともにはためくのは、難陀龍王や娑伽羅龍王など、八大龍王の名がそれぞれ書かれた四色の幟。
龍神は、水神にして仏法の守護神ともされています。まさに火を修めるこの祭りにふさわしいキャスティングというわけですね。
その中では盛んに火が焚かれ、冷えていた体がだんだんとあたたまっていくのを感じます。
火の四隅には、天狗の面を付けた僧侶が立ち、山伏姿の若い僧たちが法螺貝を吹き鳴らす厳粛な雰囲気のなか、ご祈祷が続きます。
火渡りの距離はおよそ10メートル。
並んでいる人たちは、ひとりずつ合図を待ち、左右を火にあぶられながら合掌して足早に渡ります。
はしゃいでいた小さなこどもたちも、初めてではないのでしょうか。真面目な面持ちで小さな手を合わせて勇ましく進んでいきます。
中には、途中で足がすくんでしまい、お坊さんに抱えられて通っていく子の姿も…。

福厳寺

私の番になり、いざその場に立つと火の勢いにたじろぎます。
これが三毒。貪・瞋・痴という、自分自身を焼く火。
お坊さんから合図があり、手を合わせて無心で歩き出します。
火は確かに熱く、たった10メートルが長く感じましたが、やけどすることもなく無事渡り終えることができました。
渡り終えた人は緊張から解放されて、笑顔になっているのが印象的。私自身も気持ちがすっきりしたのを感じます。自分の中の三毒を少しは制することはできたのでしょうか。
そのまま、境内奥にある秋葉三尺坊権現のお堂にお参りし、秋葉大祭は無事終了です。

おわりに:令和の仏教のありかた

あきば大祭に参加したあの子どもたちは、自分よりも背の高い火の間を渡って、何を感じたでしょうか。
小さい頃の記憶というのは後々までも残り、人生に大きな影響を与えます。
子どもたちには今はわからなくとも、いつか、無心に火を渡ったことや大愚和尚の言葉を思い出し、そのとき自分が何を学んだのかを理解する日がやってくるでしょう。

福厳寺入り口の看板には、大きく『佛心宗』と書かれていました。
あらためて思います。地方の寺とはいえ、長い歴史を持つ大きなお寺が宗旨を変え、しかも新しい宗派を興すということは、どれほど大変なことだっただろうと。
大愚和尚の活動が支持されているのは、たくさんの人々がその思いに共感し、大愚和尚の説く仏の教えに救われ希望を見出しているからです。佛心宗の働きかけはあの参加者ボードが示すように、広い地域、広い年代に着実に届いているのです。
2500年もの時を超え受け継がれてきた仏教の知恵を、時代に合った新しい方法で届けていく。
この先、令和の仏教がめざすべきひとつの姿。
それをあきば大祭で目の当たりにすることができ、ぜひ福厳寺をたくさんの方に知って頂きたい!とそう強く感じました。

この年末年始も、大みそかは地元のお寺にお参りして除夜の鐘をつき、元旦には氏神様に初詣をする予定です。
仏教が再び、日本人の心の支えとなっていくことを予感しながら祈りたいと思います。
どうか、新しい年がよきものとなりますように。