
Suzy
【倭文神社】武田信玄公の防塁があった場所
富士山の麓に位置し、標高800mほどの場所にある神社を紹介します。
山梨県富士吉田市、富士急行線 月江寺(げっこうじ)駅より徒歩数分。
月江寺駅の裏、数件の住宅と月江寺に隣接する高校のすぐ裏手にある、倭文神社です。
読み方は、“しとりじんじゃ”です。
“わぶんじんじゃ”だと思っていたら、全然違う読み方でした。
倭文神社と呼ばれる神社は日本全国各地にあり、読み方は“しとり、しずり、しどり、しとおり”のいずれかです。
倭文神社は、通常、機織の神である建葉槌命(タケハツチ。天羽雷命・天羽槌雄・武羽槌雄などともよばれる)と棚機姫命(たなばたひめ。天之八千千比売・天衣織女などともいわれる)を祀る神社で、建葉槌命を祖神とする倭文氏によって祀られたものです。
20ほどある倭文神社の名簿に富士吉田の倭文神社の名前は載っていないので、富士吉田市は昔、織物で繁栄したため、機織りの神様を祀ったのではと想像しています。
ここに神社があることを知らなければ、観光客も駅から降りて通り過ぎ、月江寺商店街など他の観光地へ行ってしまうだろう・・と思うくらい目立たない場所にあります。
駅を降りてすぐの道を左に曲がり、少し歩いて、またすぐ左に曲がると公園が見えます。
公園に足を踏み入れても、奥の方に行かないと神社があると気がつきません。
広い敷地に、ジャングルジム、てつぼう、ブランコなどの遊具とベンチや東屋もあります。
高い数本の木に囲まれた、金色の立派な鳥居があります。
昔、この近くにプラモデル屋さんがあったことは憶えているけれど、こんな場所に公園と神社があったことを全く知りませんでした。
普段は、高校生が通学路として通るけれど、かなり奥まったところにあるので、
たぶん地元の人も近所の人も滅多に行かないのではないかと思います。
本殿は、コンパクトな大きさです。
こぢんまりとした、重厚な趣ある神社です。
本殿の扉は茶色に塗られ、周りも良く手入れがされています。
神様を祀っているので当たり前かもしれないですが、扉が厚く中の様子は見えません。
勝手な想像ですが、卑弥呼がこもっていたかのようなイメージの社です。
両側には、狛犬と石の灯篭があります。
向かって右側の狛犬は、カラフルな蹴鞠に手をついています。
神社を訪ねると、本殿の方からかすかな声が・・・
なんと、可愛らしい白黒の猫ちゃんがこちらを見て何かうったえているようでした。
神社にお参りをしていると、猫さんがこちらに近づいてきました。
遊んでほしかったようです。
人慣れしている感じだったので、いつも近くを通る高校生に可愛がってもらって
いるのでしょうか・・。
狛犬のところに、ぴょんと猫さんが乗りました。
猫さんも、狛犬と一緒に神社を守ってくれているみたいです。
鳥居の左端に、『武田若武者霊神之碑』と刻まれた碑がありました。
一見普通のお墓の形です。
どうしてこんなところに、武田信玄の碑があるのかと驚きました。
戦国時代に、武田信玄が、この地に、隣国の攻撃を阻止するための防塁を築きましたが、駿河の今川氏等の攻撃により、この地も近隣もほぼ全焼してしまったとのことです。
また、武田家は富士吉田に富士山参拝者用の関所を設けました。富士山信仰の御師を兼ねる家臣もいて、資金、軍事、情報収集の面で武田家に援助をしていたそうです。
武田信玄が、富士吉田にも影響を及ぼしていたのだと知ることが出来ました。
メイン通りに出ると観光客や、小規模商店街、コンビニなどもあり人通りもありますが、倭文神社の界隈は高校生が体育館を使用している時以外は、とても静かな場所です。
何とも言葉では言い表せない不思議なオーラのある神社です。
メインの観光地だけでなく、静かな神社の東屋にすわって静かな時間を過ごすのも素敵な
思い出になりますね。
すぐ徒歩圏内に、月江寺という大きなお寺もありますよ。
武田信玄公ゆかりの北口本宮富士浅間神社、富士御室浅間神社(富士河口湖町)、
そしてさらに足を伸ばした甲府盆地には、武田信玄を祭神とする武田神社もあります。
数ある、武田信玄の辿った神社を巡る旅もいいですね。