
谷中霊園と寺町さんぽ

「春分の日」とは?
毎年3月20日頃にめぐってくる、国民の祝日・春分の日。
「寒さ暑さも彼岸まで」という諺があるように、
この日を境に、少しずつ日が長くなり、寒さも和らいでいきますね。
昼と夜の長さがほぼ同じになる春分の日は、
太陽が真東から昇って真西に沈んでいきます。
日本では、古くから西の方角に極楽浄土があると信じられてきました。そのため、春分の日こそは、
一年の中でもっとも極楽浄土に近づける日として考えられ、仏事を行うようになったそうです。
お墓参り 四方山話!
春分の日と言えば、お墓参りを思い浮かべる方も多いでしょう。
でも、改めて考えてみると、お墓参りほど、私的なベールに覆われている風習もないように感じます。
例えば、皆さんは、お墓参りには、どのくらいの頻度で、誰と行きますか?また、何を持って行きますか?
「お彼岸は家族皆で出かけるよ!」
「お線香と蝋燭は絶対に持って行くでしょう!!」
「お掃除グッズは祖母が抜かりなく持って来てくれます!!」皆さん、それぞれの風習があるかと思います。
筆者は大分の片田舎出身です。
お彼岸には、親戚一同でお墓参りをしておりましたが、毎年、行くと必ず、示し合わせたかのように、
中学時代の担任と遭遇していました。
おそらく行動パターンが一緒だったんでしょうね。
友人や同僚に聞いてみても、お墓参りのエピソードは実に悲喜こもごも。
「お墓の扉の鍵がない、ない! 親戚一同で大騒ぎしていたら、子供が握りしめていたの・・・・・・」
「お義父さんが律義な人で、中日に行くと決めているから、必ず帰り道は渋滞・・・・・・」
お墓参りの体験談を聞くと、その人の考え方や家のしきたりが分かって、とても興味深いですよね。
ただし、渦中にある人に対しては、「興味深い」など、呑気なことは言っていられません。
「亡くなった義母は、お花が好きだったから、豪華なお花を持って行ったのね。そうしたら、派手すぎるって、義理の姉に怒られちゃった!」
お墓参りをきっかけにして、騒動が起きることもあるようです。
「郷に入っては郷に従え」派もいれば、「心のままにお参りしたい」派もいることでしょう。どちらも、本人が良かれと思ってとった行動であればあるほど、
悩みは深くなりますよね。
ただし、そんな時は原点に戻って考えましょう。そもそも、なぜお墓参りをするのでしょうか。
それは「故人を偲ぶため」です。
ご先祖様は、いつでも私たちのそばで、見守って下さっているはず・・・・・・。お墓の前でトラブルはできる限り、控えたいものですね。
「谷中霊園」とは?
お墓参りのお作法やマナーについては、皆様の見識に委ねるとして、
ここから先は、筆者の夫のご先祖様が眠っている「谷中霊園」について、ご紹介したいと思います。縁もゆかりもない霊園について聞いても仕方がないと、お思いの方がいるかもしれません。
しかし、谷中霊園は都内屈指の広さを誇り、歴史上、超有名なアノ人も、眠っていらっしゃるのですよ。それではまず概要から見てみましょう。
谷中霊園は、東京都台東区に位置し、谷中の寺町に隣接する広大な墓地。園内には 7000 基ものお墓があります。
最寄り駅の日暮里駅からは徒歩六分ほどで辿り着くことができます。
江戸時代には、天王寺の境内でしたが、維新後に接収され、現在は都立霊園として東京都が管理しています。
谷中霊園の中央を南北に伸びる園路は、「さくら通り」と呼ばれ、春にはお花見のスポットとしても賑わいます。
◆天王寺五重塔跡
幸田露伴『五重塔』のモデルとして知られている、谷中の五重塔。
ただし、昭和 32 年 7 月、放火により焼失されており、現在では礎石しか見ることができません。
掲示には「放火」と記載があるだけで、細かな経緯が分からなかったので調べてみたところ、不倫した男女が無理心中を図った上での放火でした。
五重塔を燃やさなければならないほど切羽詰まっていたのでしょうか。
事実を知ると、やりきれない気持ちです。
◆徳川慶喜公墓所
谷中霊園の中にある寛永寺墓地には、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜公のお墓があります。
少し離れた場所から見ると、その一帯だけ森のように緑が生い茂っています。
近づいてみると、厳重に囲まれており、中には入ることができませんが、
金網の隙間から、葺石円墳状のお墓を見ることができます。
どうして丸いお墓なのか、疑問がわきますよね。
徳川慶喜は、明治天皇より華族の最高位である公爵に叙せられたため、感謝の意を表し、
徳川家の仏式ではなく、神式で行うよう遺言を残したそうです。
お墓参りの後は「寺町さんぽ」に出かけよう!
◆天王寺
天王寺は鎌倉時代の創建と言われており、都内有数の古寺です。
山門をくぐって境内に入ると、正面に優美な本堂が出迎えてくれます。本堂の前には、梅の木があり、二月には見事な花を咲かせます。
◆本行寺
日暮里駅の西口を出て御殿坂を上り始めると、最初に目に飛び込んでくるお寺です。太田道灌の孫・太田資高が江戸城内平河口に建立。
江戸時代に神田、谷中を経て、現在の地に移転しました。景勝の地であったことから、「月見寺」とも呼ばれて、
文人墨客が集まったことで知られています。
境内には小林一茶や種田山頭火の句碑があります。
◆経王寺
本行寺を出て、谷中ぎんざ商店街へ向かう途中にある経王寺。日蓮宗のお寺です。
本堂の隣の大黒堂には、日蓮上人のお作と伝えられる大黒天が祀られています。
慶応四年、上野戦争において、敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃を受けることになり、山門にはその際の銃弾の後が残っています。
春分の日には谷中に行こう!
谷中霊園と寺町さんぽ、いかがでしたか。
谷中霊園の最寄り駅・日暮里は「日が暮れても飽きない里」という意味合いから「日暮里」の字を当てられたと言われています。
今回特集した西側地域以外にも、東側地域には繊維街が広がり、本当に一日中過ごしても全く飽きない、面白い街です。
春分の日には、お墓参り。お寺巡りを終えたら、ぶらぶらと街歩き。
春の訪れに感謝しながら、街を歩けば、新しい発見があるかもしれません。
ただし坂道が多いので、訪れる際はどうか、歩き慣れた靴で行ってくださいね!