※文章中の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
執筆者:つき
梅に関する特集

藤原道真公ゆかりの地 道明寺天満宮

執筆者:つき
執筆者:つき

みなさん、こんにちは!つきと申します。
普段は兼業ライターとして活動を行っています。

今日は、大阪府藤井寺市にある道明寺天満宮を紹介します。
藤原道真公とゆかりがあり、大阪では梅の名所として知られている神社です。

天満宮と言えば、関西では京都市にある北野天満宮が有名ですが、ここ道明寺天満宮も大変歴史深い神社になります。
道明寺天満宮とはどのような神社なのか、梅との関係性とあわせて解説したいと思います。

最後までお読みいただけると嬉しいです!!

道明寺天満宮の基本情報

ポイント

御祭神…
 菅原道真公(すがわらみちざねこう)
 天穂日命(あめのほひのみこと)
 覚寿尼公(かくじゅにこう)

(御祭神について)
道明寺天満宮は土師氏(はじうじ)の氏神として成立した後、土師氏の子孫である菅原道真を祭神に加え、天満宮となりました。
※土師氏とは氏族のことで、はにわの制作や陵墓の造営、大王の葬送儀礼などに関与していた古代の豪族です。平安時代になって名を改め、菅原氏、秋篠氏などに分かれています。

御祭神について、それぞれ解説していきます。

●菅原道真公

言わずと知れた平安時代の貴族です。
幼少期から大変頭が良く、天皇の信頼を得て異例の速さで出世したことで知られています。
政治にも長けており、右大臣にまで抜擢。
そのことを良く思わなかった左大臣の藤原時平が、醍醐天皇に虚偽の入れ知恵を行い、これを信じた醍醐天皇が、藤原道真公を九州の太宰府に左遷してしまいます。
藤原道真公は疑いが晴れるのを祈り続けながら、ひたすら謹慎のまことを尽くされます。しかし、その疑いが晴れることなく、59歳の時に太宰府で逝去されました。
藤原道真公の死後、朝廷にてようやく無実が証明されます。
それらの逸話から、今もなお「学問の神」「至誠の神」として人々の信仰を集めています。

●天穂日命

日本神話に登場する天照大神(あまてらすおおみかみ)の子です。
天界から地上界を見ていた天照大神。
出雲の国津神である大国主大神によって、地上界が繁栄しているさまを目の当たりし、国譲りの交渉に使者を派遣します。
そこで派遣されるのが、天穂日命です。
天穂日命は大国主大神に惚れ込んでしまい、国譲りの交渉に派遣されたにも関わらず、結局地上界で暮らすことになるという面白いエピソードがあります。
ちなみに、大国主大神にはこのようなモテエピソードがたくさんあるが故、出雲大社が縁結びの神様として親しまれるようになったようです。

●覚寿尼公

菅原道真公のおばにあたる人物です。

(歴史について)
垂仁天皇32年に野見宿禰(のみのすくね)は、土師臣の姓とこの土地を与えられました。
土師臣の子孫である土師氏は、野見宿禰の祖先である天穂日命を祀る土師神社を建立します。
仏教伝来後に、土師氏の氏寺である土師寺が土師氏神社近くに建立され、後に神宮寺となります。
※神宮寺とは、神仏習合思想に基づき、神社に付属して建てられた寺院のことです。

平安時代、土師寺には覚寿尼公が住んでおり、藤原道真公もこの寺を訪れていました。
藤原道真公が太宰府に左遷される際も、この寺に立ち寄って、覚寿尼公との別れを惜しんだとされています。
淀川を下る舟の中で、
“世につれて浪速入江もにごるなり道明らけき寺ぞこひしき”
と詠まれ、道明寺に立ち寄る許可を得られたようです。

天暦元年(947)に土師寺を道明寺と改称し、同時に土師神社内に天満宮を創設。
これらが道明寺天満宮の起源となっています。
道明寺という名前は、菅原道真公の称号「道明」に由来しています。

  • 入口は寺院のような雰囲気で、かつては道明寺と境内を共有していたからかもしれません。
    入口は寺院のような雰囲気で、
    かつては道明寺と境内を共有していたからかもしれません。
  • 入口の門をくぐったところの参道です。梅まつりの時期だったためか、屋台が何軒か見られました。
    入口の門をくぐったところの参道です。
    梅まつりの時期だったためか、屋台が何軒か見られました。
  • 大変立派な本殿。
    大変立派な本殿。
  • 文化12年(1815年)に建てられた大阪府で一番古い能楽殿があります。
    文化12年(1815年)に建てられた
    大阪府で一番古い能楽殿があります。

藤原道真公の遺品

ポイント

日本で唯一!藤原道真公の遺品が保管されている

道明寺天満宮には、藤原道真公が愛したと伝えられる遺品6点(国宝)が残されており、宝物館にて観ることができます。

遺品の詳細については、下記の通りです。

  • ・銀装革帯(ぎんそうかくたい) 1条
    麻のさし糸を芯に入れ、2枚の革を縫い合わせたバンド
  • ・玳瑁装牙櫛(たいまいそうげくし) 1枚
    前髪を縛る象牙製の爪櫛
  • ・牙笏(げしゃく) 1枚
    象牙製の笏
  • ・犀角柄刀子(さいかくつえとうず) 1口
    犀の角で柄を造ってある刀子
  • ・伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう) 1面
    鋳銅製の八花形の鏡
  • ・青白磁円硯(せいはくじえんけん) 1面
    中央をややくぼませ、周囲に池を設けた円形の硯(すずり)

どれも大変きれいな状態で保管されており、とても驚きました。
特に爪櫛に関しては、繊細な作りになっていますが、櫛の歯は1本も欠けていないとのことです。

藤原道真公の遺品以外にも、道明寺天満宮にまつわる展示品があり、興味のある方は宝物殿にもぜひ足を運んでいただきたいと思います。
ただし、宝物館の開館日は期間限定であり、いつ訪問しても入館できる訳ではありません。
詳しくはホームページをご覧いただければと思いますが、梅まつり期間中の土・日・祝は開館しているとのことです。

道明寺天満宮の梅園

ポイント

藤原道真公は梅をこよなく愛していた!
毎年2月から3月にかけて梅まつりを開催

道明寺天満宮の社殿の裏側は梅園になっています。
約80種800本の梅が咲き誇り、毎年2月から3月にかけて、梅まつりを開催。
「大阪みどりの百選」にも選ばれています。

道明寺天満宮ほか、天満宮に梅があるのは、菅原道真公が梅をこよなく愛していたからだと言われています。

“梅の花 紅のはなにも 似たるかな 阿呼がほほにも つけたくぞある”
(梅の花の色は紅の色にも似ている 阿呼のほっぺにもつけてみたいな)

藤原道真公が5歳の時に詠まれた詩です。
幼少期から和魂漢才(わこんかんさい)の人と言われており、5歳で和歌を詠まれ、11歳にして漢詩を作られていました。
5歳にしてこの和歌を詠まれていたなんて…驚きですね。

  • 梅まつり
  • 梅まつり
  • 梅まつり

2月中旬頃に訪れた際は、満開とは言えませんでしたが、梅の花がきれいに咲いており、春の訪れを感じることができました。
全体的にはそこまで人が多かったわけではありませんので、落ちついて境内を観てまわることができました。

周辺の情報

道明寺天満宮の西側にある道明寺(真言宗の尼寺)。
道明寺天満宮からは約50mの距離にあり、徒歩で行くことができます。
明治時代の神仏分離により道明寺天満宮と道明寺が分離しています。

  • 道明寺
  • 道明寺
土師ノ里駅
土師ノ里駅

土師氏ルーツの地であるため、近鉄線に「土師ノ里駅」という駅も。
土師氏は、はにわの制作や陵墓の造営、大王の葬送儀礼などを行っていたことから、この周辺には古墳群があります。

まとめ

歴史を押さえた上で神社やお寺を訪問すると、見え方が変わるため、とても面白いです。
菅原道真公がこよなく愛した梅であることを感じながら梅園を歩くと、大変感慨深く、歴史の積み重ねがあるからこそ“今”があると実感できますね。
藤原道真公が第2の故郷として慕われていたこの地を、是非多くの方に肌で感じていただきたいと思います。

料金

梅園の拝観料(梅まつり期間中) 大人300円 中学生以下無料
宝物館             大人300円 中学生以下無料

梅園の拝観料(梅まつり期間中):
大人300円 中学生以下無料
宝物館:
大人300円 中学生以下無料

アクセス

〒583-0012 大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
電車:近鉄南大阪線 道明寺駅から徒歩3分
自動車:西名阪自動車道 藤井寺ICから5分、駐車場は無料 50台駐車可能