
Suzy
縁結びのパワースポット
北口本宮冨士浅間神社
(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)
鎌倉殿の北条義時も創建者の一人
美男美女の神様・日本のスーパーヒーローを祀る神社
もうすぐ、バレンタインデーですね。
日本では、女性から男性へチョコレートを贈るのが一般的ですね。
意中の人だけでなく、普段お世話になっている人や家族、同僚などにも贈る、一大イベントですね。
そもそもバレンタインデーの起源は、イタリアが発祥だと言われていることを知っていましたか?
ローマ帝国時代に遡ります。
当時のローマ皇帝は、若者が戦争に行きたがらないのは家族や恋人と離れたくないからだと考え、結婚を禁じていたそうです。
それを可哀そうだと思った、キリスト教司祭のウァレンティヌス(バレンタインは英語読み)は、内緒で兵士の結婚式を行っていたそうです。
しかし、そのことがローマ皇帝にばれてしまい二度とそのようなことをしないように忠告されましたが、ウァレンティヌスが従わなかったため処刑されてしまいました。
ウァレンティヌスが処刑されたのが、西暦269年2月14日だったのです。
処刑されて以降毎年2月14日は、ローマ国民がウァレンティヌスのためにお祈りする日になったそうです。
14世紀頃から、恋人たちの日として「バレンタインデー」のイベントが始まったと言われています。
そして、キリスト教でない日本でバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣が始まったのは、日本の菓子会社の宣伝がきっかけとのことです。
ちなみに、1か月遅れて3月14日「ホワイトデー」も贈り物のお返しを、お菓子でしようと全国のお菓子メーカーが呼びかけたことで始まった、日本特有の文化です。
ホワイトデーの慣習は中国、台湾、韓国などのアジア圏にも広まっているようです。
欧米ではバレンタインデーには、男性から女性にカードやお花を贈り、愛情を確かめ合う日だそうです。
バレンタインデーの記念日を作るきっかけになったウァレンティヌス様にあやかるのも良いですが、日本にも頼りになる神様がおられます。
全国各地にたくさんある神社の中で、恋愛成就のパワーを持つ神様がいる神社で恋愛パワーを頂きに行ってみませんか?
今回は、その中で富士山の山梨県側にある、歴史ある北口本宮冨士浅間神社を紹介したいと思います。
美しく強い神様として人気のある“木花開耶姫命”(このはなのさくやひめのみこと)が主祭神として祀られている神社です。
北口本宮冨士浅間神社の、恋愛パワースポットとしての魅力を見て行きたいと思います。
3人の主祭神
北口本宮冨士浅間神社の主祭神は、木花開耶姫命、彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと=以下、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、大山祇神(おおやまづみのかみ)の3人です。
全国の浅間神社の総本宮である富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)(静岡県)に対して、富士登山の北口に当たるため、北口本宮といいます。
浅間(あさま)は「火山」を意味し、浅間(せんげん)は「火山としての富士」を意味するそうです。
平安時代、江戸時代、富士山の大噴火があり、人々は神の怒りだと恐れ、垂仁(すいにん)天皇の代に山麓の地(静岡県にある富士山本宮浅間大社)に浅間大神(あさまのおおかみ)を祀りました。
浅間大神が、美しい富士山の姿から美貌の木花開耶姫命を連想し、同一視されるようになりました。
木花開耶姫命は、その美しさを、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に見初められ結婚しました。
姫に一目ぼれした瓊瓊杵尊は、天皇家の祖神とされる天照大御神の御孫、国土保全の神とされています。
また木花開耶姫命と強い絆で結ばれた夫婦神として、夫婦和合の霊験あらたかです。
木花開耶姫命の父、大山祇神(おおやまづみのかみ)は山の神として神徳が広く、林業・鉱山・農業・海・鍛冶・酒造などの広い分野に及び、家族円満を導きます。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は木花開耶姫命が懐妊したことを、自分の子どもでないのではと疑い、それに怒った姫が尊(みこと)との子ならどんな災いの中でも無事生まれるはずと、出入り口のない産屋の中で火事を起こし、炎の中で3人の子どもを産み潔白を証明したそうです。
そのことから、木花開耶姫命が火を鎮める神様として崇められ、富士山の神様となりました。
潔白を証明するために命がけで、三つ子を出産…
自分の意志を通そうとする木花開耶姫命の強さに敬服してしまいますね。
木花開耶姫命は、鎮火の神と同時に安産・子育ての神として全国各地に勧請されているそうです。
大人気の神様なのですね。
3人の格式高い神様が祀られている霊験あらたかな神社なのですね。
神社にあるパワースポット
まず神社の起源から紹介します。
110年日本武尊(やまとたけるのみこと)が東制の際に立ち寄り、「大塚丘(おおつかやま)」から富士山を遥拝(ようはい)するよう言ったことが始まりとされています。
日本武尊は、12代景行(けいこう)天皇の皇子、14代仲哀(ちゅうあい)天皇の父です。
その後、土地の者が小社を建て浅間大神を祀り、日本武尊も合祀されました。781年富士山大噴火がおこり、延暦7年(788年)甲斐守紀豊庭(かいのかみきのとよひろ)(県知事のような役割の人)が現在の場所に社殿を建立しました。
平安時代に山岳信仰が普及する中、富士登山により死後極楽へ行けると信じる人々の団体、富士講(ふじこう)が現れました。
江戸の富士講村上光清が1733~1738年の間、寄付を集め、私財を投げうち、幣殿、拝殿、手水舎、神楽殿、隋神門など大造営を行い、ほぼ現在の形にしました。
今では、世界文化遺産「富士山」構成資産のひとつとして指定されています。
灰色がかった大きな鳥居です。
昭和5年竣工されたままの姿を残しています。
鳥居を潜り抜け長い参道には左右に、こけの生えた灯篭が立ち並びます。
角行が、酷寒のなか裸身でこの石上に爪立ちして30日の荒行を行った石が残されています。
山岳信仰である富士講の開祖とされる、藤原角行師は長崎生まれ、18歳の時に夢の中で富士山の神様から登山し修行を積めば教えを与えるとお告げを受けました。
天正5年(1577)に登山、その後も幾度となく富士登山をしたと言います。
角行の全国各地遍歴修行の苦行は、
・溶岩洞窟の人穴に千日間こもり、水で身を清める
・7日間立ち続ける
・富士山の中腹を巡る御中道(標高2400mの落石がある辺りを一周)
・八海で身を清める水行(富士山麓の内八海と、外八海を巡る)
・約14cm角の柱や岩の上に爪立ちする
想像を絶するような、難行を行ったのですね。
江戸で流行った奇病を祈祷の力で多くの患者の命を救ったとも言われています。
角行の意志の強さ、難関を乗り越えたパワーがみなぎっている気がしませんか?
大きな木々を両脇に参道を進むと、朱色の立派な鳥居が見えてきます。
高さ約18m、幅約11m、柱の直径は最大で1.2m、木造の鳥居として国内最大級の1つ、60年に1度建て替えられます。
最近では2014年修繕が行われました。
隋神門は、1679年に建てられた悪霊などを払い遠ざけるための門です。
隋神門の向かって右には赤い服の、左には青い服の隋神像があります。
威厳のある2人が参拝する人々を見守っているようでした。
富士講、村上光清達、富士講により1736年に建立されました。
櫛磐門戸神(くしいわまとのかみ)、豊磐門戸神(とよいわまとのかみ)が祀られています。
溶岩を削った水盤石で造られています。
富士講の霊場とされる八海の1つ泉瑞(せんずい)を引き込んだ霊水です。
約3キロ上にある富士山の湧き水を引いてるので、とても綺麗なお水です。
富士山の雪解け水は湧き出るまでに何年もかかると言います。
富士山の恵の“霊水”が湧き出ている手水舎です。
樹齢千年と言われる、子宝、安産、金運、開運の御利益があるとされています。
こちらも樹齢千年、幹周は7.65m、根回りは17.0m、樹高は33mの立派な御神木です。
2本の檜が根本で1本に、地上12mで再び合わさっているところから夫婦檜と言われています。
二つの大木が仲良く寄り添っている姿は瓊瓊杵尊と木花開姫命の仲睦まじい夫婦神の姿と重なりますね。
こちらが神社の中で、一番の縁結びのパワースポットと言われるところです。
夫婦檜の前で、写真を撮るカップルの方もいました。
千年以上も前から富士山の噴火も乗り越え、ここに鎮座し続けている大木のエネルギーを感じざるをえません。
本殿の左側に、夫婦梅と呼ばれる梅の木もありました。
1つの根本から寄り添うように2本の幹が生育した相生(あいおい)梅です。
夫婦檜とは対照的に、ひっそりと目立たない所にある梅の木です。
こちらも縁結びの御利益がありそうです。
1615年谷村城主の鳥居土佐守成次(とりいとさのかみなりつぐ)により建てられ、数回修理され現在の姿に至っています。
谷村は大月の手前にある地域です。
北口本宮冨士浅間神社は、奥から本殿、幣殿、拝殿の造りになっており、参拝する所には、上に大きな鈴、天狗が2人、目を光らせていました。
貞応2年(1223)北条義時により創建され、永禄4年(1561)には武田信玄により造営された室町・桃山様式造りの社殿です。
今時の人、一つ前の大河ドラマ、鎌倉殿の北条義時や、山梨を代表する戦国武将武田信玄も関わっていたのですね!
昔は本殿でしたが、文禄3年(1594)谷村城主の浅野左衛門佐により建立された、室町様式造りの社殿です。
本殿、東宮本殿、西宮本殿は国指定重要文化財に指定されています。
東宮本殿、西宮本殿はそれぞれ35年~40年ぶりに改修され、檜皮葺の屋根、色つやのある塗装で新たに塗り直されたばかりだったので真新しく生まれ変わった感じでした。
神社の保護に献身した村上光清の家紋が灯篭に刻まれています。
私財を投げうってまで、北口本宮冨士浅間神社の造営のために尽力した村上光清の名前が刻まれた社殿です。
山梨出身ではない村上光清が富士山麓の神社のために、人生を尽くしてくれたおかげで、国内外から参拝客が訪れる立派な神社が今も残っているのですね。
この灯篭は、村上光清の功績を讃え奉納されたものです。
有名な彫り物師の左甚五郎(ひだり・じんごろう)が作ったと言われています。 恵比寿様、大黒様のパワーで金運もアップしそうです。 神社裏の目立たない場所にも、隠れたパワースポットがあったのですね。
恵比寿様、大黒様のにこやかな姿が微笑ましいです。
今では、富士山五合目から登山する方が大半ですが、江戸時代から明治時代にかけて良く使われた富士山への登山道入り口がここです。
昔の人の様に、北口本宮冨士浅間神社を参拝したあと、吉田口登山道の起点の、ここから富士登山に向かう人もいます。
神社の右脇の道を250mほど歩いた場所にある場所です。
景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、足柄から甲府方面へ向かう途中に富士山を遥拝(ようはい)された丘です。
日本武尊は、ここからの富士山の景観を見て、ここから富士山を遥拝するべきだと言ったことから、大塚丘が北口本宮冨士浅間神社の発祥の地とされているそうです。
鳥居をくぐり少し小高い丘を登ると大塚丘がありました。
日本の神話に登場するスーパーヒーローの霊力が感じられました。
大塚丘への登り口の鳥居。
古い鳥居が歴史を感じさせてくれます。
日本武尊の生きた約2千年前にタイムスリップしたかの様です。
北口本宮冨士浅間神社には、本神社、諏訪神社、大塚丘の3つの神社の御朱印をいただけます。
1か所の神社で3つの御朱印をいただける神社、珍しいですよね。
御朱印帳は、富士と桜花流水のものです。
ピンクの桜柄の可愛い、御朱印帳もありました。
桜の刺繍は当地で盛んな郡内織物で縫製したものだそうです。
境内には、20以上の摂社、末社が祀られていました。
国津神社、天津神社を始め境内に20以上の摂社、末社が祀られている
心身ともに美しくなれるように祈願されたお守りです。
小さくて可愛らしいお守り、ピンクと白基調の2種類ありました。
美のお守りを身に着けて心身ともに美しく、木花開耶姫命のような才色兼備の人に近づけそうですね。
最後に、火祭りの由来に関係する小さい神社を見てみましょう。
北口本宮冨士浅間神社の境内の一角にある神社です。
起源の詳細は不明ですが、大昔からこの土地を守護する神様として信仰されてきました。
富士山信仰の浅間大神の勢いが増すにつれ、吸収され摂社になりました。
慶安2年(1649)拝殿が建立され、昭和51年本殿が再建されました。
富士吉田市指定文化財に指定されています。
火祭り
毎年8月26日と27日の2日間開催される「日本三大奇祭」の1つです。
富士山が噴火しないように祈りを込めて行われる、山じまいのお祭りです。
火祭りの起源は、1572年のお神輿の通る御幸路(みゆきみち)の記録が残されています。
実際の祭りの起源は、これより前とのことです。
「御山(おやま)さん」と呼ばれる、大きな朱色の富士山形のお神輿を北口本宮冨士浅間神社から運ばれ、少し道路を下った場所にある「御旅所(おたびしょ)」に納められます。
何といっても、火祭りの一番の特徴は、高さ3m、直径90㎝もある大松明が80本ほど、金鳥居のある大通りにずらっと並べられた景観です。
火の灯された大松明が燃える様子は、火の海さながらで、屋台などのお店が両脇に並び、国内外からの人々で賑わう様子は圧巻です。
初めて火祭りを見た人は、その盛大さと特異さに驚くほどです。
これだけ、人や店のひしめく狭い場所に大きな松明が並べられるにも関わらず、今までに一度も火事になったことがないと言います。
木花開耶姫命の霊力のおかげなのでしょうか?
言葉では説明できない不思議な力を感じずにはいられません。
富士登山の終わりを告げる幻想的なお祭りは一見の価値がありますよ。
口本宮冨士浅間神社はどうでしたか?
浅間神社の3人の神様、夫婦檜、大塚丘に祀られる日本武尊(やまとたけるのみこと)の霊力、数々の難行を積んだ各行の石、20以上の摂社、火祭りの諏訪神社‥
富士山麓の最強パワースポットと言えるくらいだと思います。
運が良ければ神前結婚式が行われている場面に遭遇出来るかもしれません。
縁結びはもちろん、商売繁盛、無病息災、合格、必勝、登山安全、殖産興業、心願成就、技芸上達などなどの御利益もあるそうです。
スピリチュアルな空間の広がる世界でパワーをいただき、自信を持って何事にも取り組むことが出来るパワーをわけてもらいましょう!
富士急行線富士山駅から徒歩で金鳥居のある通りを歩き、昔富士講の人達が富士登山の際に利用したという御師の家の界隈を散策しながら神社へ参拝するルートがお勧めです。
以前は90軒ほどもあったという御師の家は、宿坊として営業をしているのは数件ですが、界隈は今でも昔のままの風情を残した建物が残されています。
‘富士山北口御師 菊谷坊’は400年以上続く御師の家をリノベートした宿坊として営業しており、館内見学のみの対応もしています。
カフェ&ゲストハウスと“大鴈丸 hitsuki guesthouse & café”は、ビーガンスイーツなど身体に優しいスイーツ&ドリンクを提供する新しいタイプの御師の家です。
神社とつながりのある御師の家で富士講の時代を振り返るのもいいですね。
富士山から近すぎること、そしてたくさんの高い木々に囲まれた境内があまりにも広大なので、境内からは富士山全体像は見えません。
神社を下った場所から、威風堂々とした富士山の全体を仰ぎ見てみてくださいね。
富士山の神様のパワーをいただき、素敵なバレンタインデーを迎えられるようお祈りしています!
Happy Valentine!
・住所…〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田5558番地
・公共機関…富士急行ホームページを参照
・車…中央自動車道河口湖ICより3㎞
富士五湖道路富士吉田ICより3㎞